Pickup

2021.11.22

コラム | 特許図面図鑑

【特許図面図鑑 No.08】図面で垣間見る日本の歴史①~明治期~

特許図面図鑑 08

ユニークで奥深い「特許図面」の世界を紹介するこのコラム。今回からは「図面で垣間見る日本の歴史」シリーズをお届けします。

まずは、日本に特許制度が導入された明治時代からスタートです。

明治維新(1868年)直前である1860年代。「文久遣欧使節」として欧州の視察を終えた福沢諭吉氏は、「人心を鼓舞する」ために特許制度が重要である旨を記しています。当時の英国は、特許制度が1つの推進力であったと考えられる「産業革命」によって繁栄した国。同氏にとって、工業製品の恩恵を受けていた英国民の生活が輝いて見えたのかもしれません。

『人心を鼓舞するの一助と為せり。之を発明の免許パテントと名づく』

ー「西洋事情. 外編. 三」より

そして1885年(明治18年)。当時農商務省にいた高橋是清氏らの尽力により、日本に特許制度が導入されました。専売特許所(現:特許庁)所長となった高橋是清氏は、特許等の産業財産権制度は人々の「思考」の向上に繋がる旨を述べています。

『我政府は大いにここに見る所ありて、各条例を設定して民人の思考力を涵養するの途を開けり。現行特許、意匠、商標の三条例、即ちこれなり。』
ー「特許局将来の方針に関する意見の大要」(特許制度に関する遺稿 第6巻)より

明治に生きた歴史的偉人達が思いを巡らせた特許制度。出願件数は右肩上がりに増え、明治45年の出願件数は約7,000件にも上ります。

undefined 「特許行政年次報告書2018年版~明治初期からの産業財産権制度の歩み~」より

同時期に導入された商標制度・意匠制度とともに、徐々に人々に浸透していった様子が浮かびます。では、当時はどの様な特許が出願されていたのでしょうか?

先人たちが残した素敵な知的財産である「特許図面」を拝見していきましょう。

01 生茶葉薫器械(特許第2号)

発明者:高林 謙三 氏
出願日:1885年(明治18年)7月1日、特許日:1885年8月14日

patent-drawing_08_01

特許第2号 J-PlatPat リンク

埼玉県小仙波村(現在の川越市)の開業医:高林謙三氏は、茶園の経営にも乗り出していました。特許制度が導入された日(1885年7月1日)に出願していることからも、発明の保護や茶園事業に力を入れていたことがうかがえます。なお、特許第3号、第4号も同氏によるお茶関連の発明です。(参考:「100年をこえて稼働する製茶機の発明者、高林謙三」 公益社団法人農林水産・食品産業技術振興協会)

02 納涼団扇車(特許第12号)

発明者:渡邊 代次郎 氏
出願日:1885年(明治18年)7月1日、特許日:1885年8月26日

patent-drawing_08_02

特許第12号 J-PlatPat リンク

ハンドルを握り二輪(ロ、ハ)を回すことによって団扇を回転させ、風を生み出す。両側において涼を感じることができる素敵な発明ですね。こちらも特許制度導入初日に出願されています。

03 改良飯煮釜(特許第64号)

発明者:武内 孫八郎 氏
出願日:1885年(明治18年)9月29日、特許日:1885年11月26日

patent-drawing_08_03

特許第64号 J-PlatPat リンク

二重底を備え、孔(ハ、ニ)より水を注入することができる炊飯釜。現代においても存在しそうな、洗練された外観です。

04 改良楊枝(特許第506号)

発明者:小林 延太郎 氏、高橋 愛治 氏
出願日:1887年(明治20年)10月3日、特許日:1888年6月20日

patent-drawing_08_04

特許第506号 J-PlatPat リンク

直立した束と傾斜させた束とを交互に設けたブラシ部分に特徴がある発明です。本件の発明の名称が「改良楊枝」である点が興味深いですね。明治時代は「歯楊枝」と呼ばれており、「歯ブラシ」は大正時代に誕生したとのこと。(参考:『つい誰かに話したくなる!歯の歴史が楽しく学べる「歯の博物館」に潜入 : 暮らしのマイスターが行く』Lidea)

05 射的玩具(特許第790号)

発明者:芳野 芳之助 氏
出願日:1889年(明治22年)7月27日、特許日:1889年12月6日

patent-drawing_08_05

特許第790号 J-PlatPat リンク

吹矢筒(ヲ)から矢を放って板(リ)を動かし、螺状弾機(へ)なるバネの作用によってキャラクターが飛び出てくる発明のようです。図だけでも遊び方が伝わってくる、素敵な図面ですね。

06 木製人力織機(特許第1195号)

発明者:豊田 佐吉 氏
出願日:1890年(明治23年)11月11日、登録日:1891年5月14日

patent-drawing_08_06

特許第1195号 J-PlatPat リンク

トヨタグループ創始者である豊田佐吉氏による発明です。1890年(明治23年)に上野で開催された「第三回内国勧業博覧会」へと出向いた同氏。そこで出会った動力織機に魅せられ、自身による特許第1号となる本発明を完成させました。本博覧会の会期(1890年4月1日~7月31日)から間もない1890年11月11日に出願されていることからも、日本を豊かにしようとする同氏の意志を感じ取ることができます。

07 鼻緒(特許第1651号)

発明者:石田亀吉 氏、加藤彌七 氏、平野吉二郎 氏
出願日:1892年(明治25年)2月27日、特許日:1892年7月1日

patent-drawing_08_07

特許第1651号 J-PlatPat リンク

鼻緒を留めるために金具(は、ろ)を用いる発明。踵へ向かうにつれて厚底になる形状にも特徴がありそうですね。

08 玉突器(特許第5038号)

発明者:筒井 正之 氏
出願日:1901年(明治34年)8月23日、特許日:1901年12月18日

patent-drawing_08_08

特許第5038号 J-PlatPat リンク

日本のビリヤードの歴史は、江戸時代にオランダ人によって長崎の出島へ持ち込まれたのが始まりとされます。そして明治時代には東京に初めてビリヤード場が誕生しました。(参考:「江戸のサムライもビリヤードをやった?!ビリヤードの歴史と最新事情」有限会社ニューアートHP)

そんな明治時代に出願された本発明は、螺状弾機(ハ、ト)なるバネを用いた玉突き器に関するもの。そして描かれた図面から察するに、球を隅のポケットに入れる「ポケット・ビリヤード」ではなく、「キャロム・ビリヤード(四つ球)」を楽しむための発明のようですね。

09 金平糖製造器(回轉錀釜)(特許第6904号)

発明者:村上 ヨネ 氏
出願日:1903年(明治36年)6月27日、登録日:1903年12月8日

patent-drawing_08_09

特許第6904号 J-PlatPat リンク

宣教師であるルイス・フロイスが織田信長への献上品として日本に持ってきたお菓子が「コンフェイト」。これはポルトガル語「confeito:糖菓」であり、金平糖の語源として知られています。

その後、手作りされていた金平糖は、明治時代の後期に入り機械化へ。そして明治36年、歯車(ト)を用いて輪釜(イ)を回転させる金平糖製造機が特許出願されました。傾斜した大きな鍋を回転させながら製造する方法は、現代においても変わらず受け継がれています。(参考:「【緑寿庵清水公式】金平糖が出来上がるまで。」銀座緑寿庵清水 Youtube チャンネル)

10 おしめほし名一濕布乾燥器(特許第14982号)

発明者:福住 十二郎 氏
出願日:1907年(明治40年)9月25日、特許日:1908年9月24日

patent-drawing_08_10

特許第14982号 J-PlatPat リンク

当時は紙おむつなど存在せず、布おむつを都度洗濯しなくてはならない時代。そこで生まれたのが本発明であり、複数の濕布掛竿(ヘ)に干したおしめを「少量ノ火ヲ以テ短時間ニ簡易ニ乾燥セシムル」とのこと。おしめを一日に何枚も交換し、洗濯をして短時間で乾燥させる必要があったのでしょう。「必要は発明の母」ですね。

以上、明治期における特許図面を紹介しました。次回は大正期です。明治時代の豊田佐吉氏に続いて、日本が誇る実業家による数々の出願がなされていきます。どうぞお楽しみに。

(参考情報)
アイデア活かそう未来へ 知的創造時代へ向けて | INPIT 2012
特許制度導入と産業革命 | パテント 2009, Vol.62, No.6
公文書にみる 発明のチカラ ー明治期の産業技術と発明家たちー | 国立公文書館
十大発明家 | 特許庁HP
・世界を変えた発明と特許 | 石井正 著, ちくま新書
・「発明に見る日本の生活文化史」シリーズ | ネオテクノロジー

ライティング:知財ライターUchida
note記事はこちら

広告