
手振れ補正、著作権保護技術、デジタル放送、高速モバイル通信など多分野で世界初の基本技術を開発し、1300件あまりの登録特許を取得している世界トップクラスの発明家、大嶋光昭氏。彼が開発した技術はパナソニックの経営に大きく貢献しており、特許ライセンス収入面での貢献度も大きい。現在の生活に欠かすことのできない携帯電話の通信方式技術にも、大嶋氏が30年前に開発した基本特許技術が採用されている。
このような10年から数十年先の長期的な未来を見通し、世の中を変えるイノベーションを起こし続ける大嶋氏と、世界中のコンベンションやカンファレンスを飛び回り、最先端のものづくりの現場や数多くの経営者たちと向き合ってきた西村真里子氏が、「知財が発する光と、それを生み出す方法や環境」について語り合った。
【この対談は、知財図鑑とパナソニックが発行した知財マガジン『LIGHTS』に収録された記事の転載です】
▼「世界的イノベーター」が生まれるまで
西村:大嶋さんは「シリアルイノベーター」つまり、革新的な技術を発明して市場に送り出すことを何度も繰り返し行う人として、この言葉の提唱者であるイリノイ大学のブルース・A・ボジャック教授の本にも紹介されています。改めてイノベーターとはどういう人だとお考えでしょうか?
大嶋:今でこそ「イノベーション」をテーマに多くの企業で講演をさせてもらっていますが、松下電器産業(現パナソニック)に入社したときは全くの凡人でした。入社後は「無線研究所(無線研)」に配属されたのですが、そこのミッションは「他ではやっていない世界初、世界最高の研究をやる」でした。いわゆる優等生タイプの技術者が集まる「中央研究所」とは異なり、無線研には一風変わった人たちが集められていて、世の中にないテーマに挑戦すれば、たとえ三振してもその姿勢を褒められるような文化がありました。
「手ブレ補正」の技術はそこで発明したのですが、実は一度カーナビ市場で失敗しました。しかし当時全く期待されていなかったセンサーに出口を見つけようと再挑戦して、量産化されていなかった手ブレ補正のセンサーとしての新しい方式を開発しました。試作機ができたときに大阪城の周りをヘリコプターで旋回して撮影するプロモーションビデオを作りました。一方の画面は揺れ、もう一方の方は全く揺れていない。一切の説明なしで効果は一目瞭然です。その映像を見て、それまで反対だった人達も含めて全員が賛成してくれました。この特許技術はまずビデオカメラに導入しましたが、デジタルカメラに導入することで、最後発だったパナソニックのデジカメをトップシェアへ押し上げることになりました。
▼イノベーターに必要な「鈍感力」
大嶋:イノベーターと呼ばれる人はアンデルセンの寓話の「みにくいアヒルの子」みたいなもので、他の人と違ったことをやっているため周囲から批判を受けます。イノベーターには、それでも気にしない「鈍感力」が大事だと思います。私も若い頃はあまり周りの批判に気づいてなかったのですが、それはどうやら上司がかばってくれていたこともあったようでした。たまたま助けてくれる理解者に恵まれていたのですね。「みにくいアヒルの子」を白鳥に育てるためには、目利き力があるパトロン役の存在が大切だと思います。
西村:鈍感力とはタフなメンタリティのことでもありますね。周りが理解してくれない場合の立ち回りも上手くいったのでしょうね。私もIBMに在籍していた時、通常のレポートラインを越えてトップに提案するエスカレーションの仕組みを使ったことがあります。
大嶋:「直訴」ですね。ただ上申するだけではなく、ここぞと思う時には命をかけるくらいの意気込みで直訴することが大事です。フランスの哲学者・パスカルは「人間は自分に理解できない事柄は否定したがる」と言いましたが、本当に自信のあるものであれば、周りが反対したり止めたりしても、根気よく理解者をみつけることが重要です。とはいえ私も人生で一度だけ、どん底に落ち込んだことがあります。入社5年目に研究職から事務職に異動になったのです。失って初めて研究開発の仕事の素晴らしさに気がつきました。元の仕事に戻るために終業後、夜遅くまで研究所の図書室でひたすら勉強しました。毎月1つの新しい技術分野を勉強し、その分野の特許を出願することを続けました。わからないことがあると、よく社内の専門家に聞きに行きましたが、彼らは忙しいので、ただ質問をするだけでは会ってくれません。しかし具体的なアイディアを持って提案しにいくと話を聞いてもらえました。必ず毎月1件、平均すると年19件の特許出願、それを3年続けました。これが今の「多分野型発明家」につながる私の転機でした。