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2021.06.08
インタビュー | 出村 光世×西垣 淳子
より良い知財権との付き合い方
特許庁で審査業務部長を務め、中小企業知財戦略の支援やデザイン経営プロジェクトなどを推進している西垣淳子氏。経産省時代にはベンチャー支援などを行い、特許庁に移ってからも知財に関する中小企業からの相談を数多く受けるなど、リアルな現場の声と向き合ってきた西垣氏に、これからの「知財権との付き合い方」について話を聞いた。
特許庁 審査業務部長・西垣淳子さん
アイデアや技術はどうすれば守れますか?
出村
『知財図鑑』では、多様なバックグラウンドを持つ知財ハンターたちが日々さまざまな知財を発掘し、クリエイターの視点からそれらを解釈をしたり、活用法の提案などを行っています。また、僕らは個人の新しいチャレンジをデザインやマーケティングの側面からサポートすることもあるのですが、その過程で知財権についてハードルを感じることも多く、今日は色々伺いたいと思っています。まずは、西垣さんが特許庁でどんなお仕事をされているのかを教えてください。
西垣
私は、2年ほど前に経済産業省から特許庁に移り、現在は商標の審査業務や中小企業の知財戦略支援などを行っています。特許庁で取り扱っているものは大きく「特許」「商標」「意匠」に分けられ、特許は弁理士とのやり取りが主となるのですが、商標は事業者とのやり取りも多く、出願者の7割くらいは中小企業になります。
インタビューはオンライン会議ツールを使って行われた。
出村
いま僕らは、画期的なコーヒーの淹れ方を発明した方と一緒にプロジェクトを進めているのですが、その過程で商標登録の話が出てきました。ただ、新しいものをスピード感を持って世の中に出したいという思いがある中で、時間や金銭的なコストを鑑みた時に商標登録に踏み切れなかったという経緯がありました。
西垣
私たちが特許庁で進めている「デザイン経営プロジェクト」は、特許や商標の出願をするか決めかねているような方たちや、特許庁には普段来られないような方たちの声を拾いたいという思いから始まったところがあるのでこのようなお話はよく聞きますし、ご相談も受けています。お話し頂いたコーヒーの話で言うと、特許庁の仕組みでそのアイデアを守ろうとするなら、コーヒーを提供するショップの名称をブランド化して商標登録するとか、あるいは淹れるのに必要な道具の外観に特徴が現れているのであれば、それを意匠として登録するという考え方があるのかなと思います。
出村
商標や意匠などの知財権を取るか取らないかという二択の他に何か代替策はないのでしょうか?
西垣
私が最も多く相談を受けるのは、BtoBの製造業を生業としている中小事業者からなのですが、彼らの技術の核はものづくりのプロセスであることが多いんですね。中には特許化し得るような要素技術を持っている方たちもいらっしゃるのですが、多くの事業者さんは自分たちにしかない経験とノウハウが凝縮した製造プロセスに強みを持っています。こうした場合、知財権で技術を守るのではなく、そのノウハウを不正競争防止法上の営業秘密として管理することを勧めています。技術を自分たちの営業秘密と認識し、そこに携わる人間を特定した上で外には出さないという体制を企業内部につくることで、第三者に技術を盗まれた時に民事上、刑事上の措置を取ることができるようになります。さらに付け加えると、企業間の取引においては、以前に取り沙汰された金型図面の流出問題のようなことを避けるためにも、事前に秘密保持契約をしっかり結び、自分たちの「秘伝のたれ」とも言える技術や設計が大企業側に吸い上げられないようにすることも非常に大切です。
特許庁デザイン経営プロジェクトが発行した「中小企業におけるデザイン経営ハンドブック」。
商標にはどんな使い方がありますか?
出村
西垣さんが担当されている商標の活用法として、面白い事例などがありましたら聞かせていただきたいです。
西垣
金属加工をされている由紀精密さんという企業が、ファッション業界におけるLVMHグループを参考にブランディングをされています。これは、日本の中小企業こそ、企業の個性や歴史を生かした経営が向いているという考えに基づいているそうです。2008年のリーマンショック以降、従来のサプライチェーンの中で元請業者からの依頼に従ってものづくりをしてきた中小企業は経営が苦しくなりました。その中で同社では、航空機部品と同じ精度で3分以上回り続ける精密コマをつくって大会に出たり、宇宙ベンチャーの企業やJAXAと協業して小型衛星の部品を開発するなど、自分たちの技術力の見せ方を工夫することで新しい市場を開拓してきました。やがて彼らは、日本の中小製造業が持つ優れた技術を守るためにホールディングカンパニーを設立し、培ってきたノウハウを仲間の企業に提供することによって、各社のブランドを維持しながら経営基盤を安定させるということに取り組むようになりました。そして、この独自のメソッドを「YUKI Method」として商標化することで、自社のビジネスモデルを保護するとともに、グループ全体のブランドイメージを高めているんです。
由紀精密が開発した、3分以上回り続ける高精度の独楽「SEIMITSU COMA」。
出村
再現性のあるフレームワークを商標化したということですね。
西垣
はい。「商標にはこういう使い方もあるのか」と私自身とても勉強になりました。例えば、中小店舗の経営をデザイン面から支援している会社が、そのメソッドを商標化するということもできるはずです。その商標を各店舗に使ってもらうことによって、経営支援をした人の能力が見える化され、店舗のブランド価値も一緒に高めることができると思います。店舗デザインや展示会出展などを支援しているデザイナーさんたちには、こうした商標の活用をおすすめしています。
出村
そのメソッドやフレームワークを活用している人たちが、自分たちの口からそれを紹介できることは良いことだと思いますし、経験上、それが威力を発揮するような局面は少なくないように感じます。
西垣
そうですね。大企業の知財部などが特許出願をするようなケースとは異なり、中小企業やスタートアップ企業が知財権を取得しようとする場合、そのプロセスを通じて社員のモチベーションを高めたり、自分たちの付加価値をプロトタイピングできるという利点もあると思っています。例えば、事業承継した中小企業の社長の中には、それまでの会社の事業をそのまま引き継ぐだけではなく、いかに会社を自分らしい色を持たせられるかということを考える方も多いんですね。その中で自分たちが考える付加価値を社内で共有しながら新しいものづくりに取り組み、その結果、先代がつくってきた企業ブランドに新しい商標が加わるということもあると思います。
出村
チーミングの手法としての「商標」というのはあり得る話ですね。知財権には自分たちの技術を守るというディフェンシブな要素だけではなく、「関わりしろ」をつくっていくような側面もあるのかもしれないですね。
商標5庁会議(2019年日本開催)にて。
アイデアはどこまでオープンにするべきですか?
出村
『知財図鑑』には、知財の活用アイデアを妄想として可視化する「妄想プロジェクト」というコンテンツがあり、最近は、こうしたアイデアに対して事業者が手を上げてくれるようなケースも生まれています。従来のBtoBやBtoCというビジネスのあり方だけでなく、このようにクリエイターなどの個人のアイデアを企業が実現していく「CtoB」のようなカタチがもっと社会に広がり、新しい経済圏が循環するようになると良いなと考えています。
西垣
そのような考え方は私の中でもひとつのテーマになっていますし、面白い流れをつくっていくために自分たちにできることはないかとも考えています。2000年代初頭に興ったメイカーズムーブメントには、欲しいものは自分でつくるという思想がありますが、自分がほしいものをつくるのは他の人でも良いですよね。アイデアを共有することで仲間が集い、そこでつくられたものが市場に流通し、その価値が分配されることで皆が幸せになる。そんな世界を推し進めたいと私も思っているので、「妄想プロジェクト」のようにアイデアを見える化するというアプローチはよく理解できます。
知財図鑑「妄想プロジェクト」より。
出村
知財業界の人と話していると、先にアイデアを露呈してしまうことのリスクを指摘されることもあるのですが、この辺りについてはどう思われますか?
西垣
これはオープンイノベーションの議論とも重なりますが、ポイントはアイデアを共有する際の線引きですよね。世界中にいる何十億人という人たちに対してアイデアをオープンにする必要はなく、10人、20人、50人という範囲の中で緩やかに共有しながら価値をつくり、その外側にいる人たちに模倣されたり、権利を侵害されたりしないような線引きが必要になるのだと思います。国が決めた法律や権利などでガチガチに囲い込むようなことよりも、クリエイティブ・コモンズなどを上手く活用しながら、緩やかなネットワークの中でコンソーシアム規約のようなルールをつくっていけると良いのではないでしょうか。例えば、Googleがオープンソフトウェアについて、コードのライセンスとは別に、そのソフトウェアにかかる商標の適切な管理のための団体「Open Usage Commons」をつくりました。プロジェクトのアイデンティティを示す名称やロゴ、バッジといった商標についての保護を念頭に置いていると思います。日本の場合、国や自治体が決めたパブリックな規約やガイドラインを求めることはあっても、自分たちでルールをつくるような取り組みは少ないように感じていますが、オープンイノベーションのようなルールは、むしろこうした例に見られるようにプライベートな世界で進んでいくものだと思っています。
出村
パブリックとプライベートの間にある汽水域のようなところで情報を公開したり、手を挙げられる環境をつくることがポイントになりそうですね。それを『知財図鑑』というメディアの立場から考えてみると、一定の規約に合意した会員の間でのみ情報が共有されるような場がつくれると、一段深いレベルの議論ができるようになるのかもしれません。
西垣
例えばですが、「知財図鑑ネットワーク」のようなものがあって、その中にいる100人の間で議論されたことを外に出す場合は、「by 知財図鑑」と明示することにします。制度上、純粋なアイデアだけでは特許化は難しいですが、アイデアがイラストなどの著作物になっていれば自然と著作権は発生することになります。それによって、イラスト自体は知財図鑑ネットワークのものであるという共通の認識を持ちながら、実用化にあたってはネットワークの外の人たちとも柔軟にやり取りができるような状況がつくれるのではないでしょうか。
「Open Usage Commons」のWebサイト。
日本の技術に未来はありますか?
出村
マクロな話になりますが、日本は先進国の中で特許の産業利用率が低いという現状があります。この背景にはどんな問題があると思われますか?
西垣
ものづくり立国と言われてきた日本はいまもそのドグマが強く、優れた技術を特許化すること自体が目的になっているところがあるのだと思います。市場の課題を解決するというところに向いていない技術が多いように感じますし、機能を増やしていくこと自体が目的化してしまったような日本の携帯電話が、ある日登場したスマートフォンにシェアを奪われてしまった事例は、その象徴かもしれません。ただ、最近は国内の特許出願件数が減少傾向にあって、企業が活用できると見込んだ技術に絞って出願している結果なのだとしたら、それは悪いことではないのかなと思っています。
2021年5月にフルリニューアルを果たした『知財図鑑』では特許を取得している技術から研究段階のものまで、幅広い対象を「知財」として扱っている。
出村
日本とアメリカの特許技術の内訳を比較すると、日本は既存の技術を改良したものが大半で、非連続的なイノベーションにつながる研究が占める割合は、アメリカの1/3程度しかないというデータもあるようです。
西垣
そのデータの存在は知りませんでしたが、日本は連続型、改良型のイノベーションへの志向が強いということは、経産省時代に第4次産業革命の推進を担当していた時に実感しました。その当時世界では、AirbnbやUberなどに代表される非連続型のイノベーションが既存市場を破壊するような流れが強まっていましたが、日本経済を牽引してきた製造業をはじめとする国内の大手企業はこうした動きに太刀打ちできなくなっているという危機感があります。いまなお日本のものづくりには世界と比べた時に優れている点がたくさんあると思っていますが、これらをいかに価値あるものとして市場に出していけるのかということを考えていくことが大切なのではないでしょうか。
出村
最後に、今後特許庁で西垣さんがやっていきたいことなどをお聞かせください。
西垣
イノベーション推進やベンチャー支援などに携わってきた経産省時代には、色々な新しい技術に触れ、民間の方たちと世の中を変えていくための議論などもしてきたのですが、国の制度自体がまだまだ追いつけていないと感じています。既存の制度を前提に出願されたものに対して審査をすることが主な業務になっている特許庁も、世の中の課題に対して自分たちも一緒に考えていくような頭の訓練が必要だと感じていますし、中にいる人たちの意識を少しずつ変えていくために、デザイン経営プロジェクトを推進しているところもあります。とはいえ、3000人近くいる組織全体が変わっていくためにはまだまだ時間が必要なので、自分たちができないところはぜひ外部の方たちの力をお借りしたいと考えています。より良い知財のエコシステムをつくっていくという観点から、ぜひ色々アドバイスを頂けるとうれしいです。
出村
外部からご協力できることはどんどんしていきたいですし、自分たちの関わりしろがあるようでしたら、ぜひいつでもお声がけください。今後ともよろしくお願いします。
インタビューを終えて
出村
西垣さんは非常に幅広いバックグラウンドと多様な視点を持っていらっしゃる方でした。省庁の立場からマクロなトレンドについてお話し頂けたことはもちろん、実際に中小企業の方々と深い交流を持ちながら、現場目線の経験則を共有頂けたのは、大きな収穫でした。特許庁は大きな組織ですが、西垣さんのような前向きな方とのリレーションを増やし、知財図鑑も外郭から変革の協力を行っていきたいと強く感じました。