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2022.02.04
レポート
印刷の未来を導く「進化思考」2DAYSワークショップ&座談会
去る2021年10月15日、11月1日の2日間にわたって、NOSIGNER代表・太刀川英輔氏が講師を務めるオンラインワークショップ「印刷の未来を導く-進化思考」が開催されました。生物の進化のようにアイデアを発想する「進化思考」の考え方をベースに印刷の未来を探求したワークショップと、それを受けて行われた太刀川氏・ワークショップを主催したハイデル・フォーラム21 ポストプレス研究会の篠原慶丞会長・企画を担当したKonel/知財図鑑代表の出村光世によるディスカッションの内容をダイジェストでお届けします。
※今回のワークショップをもとにまとめた「3つの印刷の未来シナリオ」や未来の印刷の再定義は、下記リンクのペーパー資料にもイラストとともにまとめられています。
「進化思考」とは?
「進化思考」とは、「生物の進化のように、アイデアを発想する」ことを掲げる思考法。提唱者の太刀川英輔さんは、数々の企業のブランディングや商品開発、さまざまな社会課題と向き合うプロジェクトなどを手がけるデザインファーム・NOSIGNERを率いるクリエイターです。
太刀川さんはかねてより、デザインで美しい未来をつくること(=デザインの社会実装)とともに、発想の仕組みを解明し変革者を増やすこと(=デザインの知の構造化)を活動の軸に据えてきました。そして、生物の進化と発明やイノベーションのメカニズムに類似性に見出し、長年の探求と実践を経て体系化したのが「進化思考」です。無数のアイデアを発想する「変異」(≒バカ的思考)と、生態系を理解し共生する「適応」(≒秀才的思考)を行き来することで、本来誰もが持っている「創造性」を引き出す「進化思考」は、2021年4月に一冊の書籍にまとめられ、各方面から高く評価されており、日本を代表する学術賞「山本七平賞」を受賞した科学的発想法として広まっています。
NOSIGNER代表・太刀川英輔氏。ワークショップはオンラインにて行われた。
2日間にわたって考える印刷の未来
この進化思考をベースに、印刷や製本、紙加工の未来を創造するプロセスを学ぶオンラインセミナーと2日間のワークショップが開催されました。主催は、印刷関連機器メーカーのハイデルベルグ・ジャパンが運営をサポートし、印刷業界の未来を切り拓くリーダーたちを支援するハイデル・フォーラム21 ポストプレス研究会。10月15日に開催された1日目のワークショップには、事前に行われたオンラインセミナーに出席した印刷業界関係者や一般公募で集まった参加者の計24名が参加しました。
ワークショップは、「かねてから未来の印刷業を再定義したいと考えていた」というポストプレス研究会の篠原慶丞会長の挨拶に始まり、続いて太刀川さんから「進化思考」の概要や目的が改めて語られました。2日間にわたる今回のワークショップでは、参加者が5つのチームに分かれ、「印刷会社」「印刷機」「本」という3つの「X」の中から割り当てられた対象を「進化」させることがお題に設定されました。
最初に行われたのは、「固定概念を取り払うことが肝」と太刀川さんが語る「変異」の手法のひとつ「変量」のワークです。例えば、コウモリが手指の骨の大きさや長さを増やして翼を獲得したように、「変量」とは文字通り対象にまつわる「量」を変えることによってアイデアを発想する手法。各チームのメンバーたちがオンラインホワイトボード「miro」上に、「超~なX」のアイデアを思いつくままに書き込んでいきました。
「進化思考」で9つ定義されている「変異」の手法のひとつを体感したメンバーたちは、続いて「適応」の思考の中から周囲のつながりについて考える「生態」のワークに挑みます。「印刷会社」「印刷機」「本」の周辺にあるつながりやステークホルダーを思い浮かべながら、各チームが「X」を取り巻く生態マップを描いていきます。ワークを経験した参加者たちからは、「一見印刷業界から遠いと思われる存在の関係を追っていくことで見えてくるものがあった」など前向きな感想が語られました。
太刀川さんから、「対面で話ができる相手だけではなく、自然の生態系や未来の人たちのことも慮れらなければ、社会は持続不可能なのです」という言葉があったように、周囲の生態に思いを馳せることは、「誰一人取り残さない」ことを掲げるSDGsの達成にも不可欠だと言えそうです。
最後には、同じく「適応」の思考のひとつで、生物の進化図を描く系統学に着想を得た「系統」についても紹介されました。そして、「印刷会社」「印刷機」「本」の3つの「X」がどのような歴史的経緯とともに発展してきたのかをたどる系統樹を描くことと、先の生態マップを完成させることが宿題として出され、この日のワークショップは終了しました。
対象のさまざまな関係を観察する
約2週間後に行われた2日目のワークショップは、各チームがつくった生態マップと系統樹の発表からスタート。生態マップの発表者たちからは、「印刷業界の中にいながら周囲のつながりすら把握できていなかった」「印刷業界はさまざまなものとつながれる立場にあるという気付きがあった」 「日本と海外の印刷業界の生態系には違いがある」など思い思いの感想が語られました。それを受けて太刀川さんは、「人はどうしても近くの関係性に目を向けがちですが、例えば、森林と直結した紙、そして出版社など、遠くにある存在同士を率直につなげて考えることで価値が高まる関係性もあるでしょう」と、業界の外に広がるさまざま関係性を想像することで生まれる新たな可能性について言及しました。
続いて、印刷会社や印刷機、本の起源、各時代に果たしてきた役割、現在に至るまでの発展の軌跡を紐解いた各チームの系統樹が発表されました。太刀川さんは、「あらゆる対象の起源を紐解くとプリミティブな道具にたどり着きます。それは道具が身体を拡張するためにつくられているからですが、例えば石器にしても包丁にしても、道具が持つ目的自体は数千年にわたって大きく変わっていないんです。系統樹を描くことは、こうした本質的な人類の願いを理解し、それにどう答えていくかを考えるのに役立ちます」とコメントし、系統樹を描くことが未来を考えるための準備になることを示唆しました。
そしていよいよ、今回のワークショップの本題でもある印刷の未来を考える「予測」のパートに入ります。まずはじめに、これまでのデータをもとに未来を占う「フォアキャスト」、SFのように未来を描き、その道筋を考える「バックキャスト」という2つの未来予測のアプローチが太刀川さんから示されました。そして、各チームの「X」にまつわるデータ収集が行われた後に、これまでのすべてのワークを踏まえて、2030年の印刷業界における最高のシナリオ、最悪のシナリオをそれぞれ描き出すワークが行われました。
すべてのプログラムを終えた太刀川さんは、「今回のワークショップで行った系統や生態、予測などの手法に近いことは、少なからずみんな考えているはずです。それを他の人よりも深く考え、未知の挑戦を繰り返した人だけが次の道をつくれるのだと思います。印刷の未来は明るいことだけではないですが、一人の印刷好きとして、まだまだ印刷には可能性があるはずだと思っています」と未来への希望を語りました。そして、主催のポストプレス研究会・篠原会長が、「普段は考えたこともないようなテーマやメッセージが散りばめられたワークショップで非常に有意義な2日間でしたし、たくさんの宿題を頂きました。未来のより豊かな印刷産業のために、今日の気づきを普段の仕事に落とし込んで頂くとともに、ここで生まれたつながりをぜひ継続して頂けたらと思っています」と締めくくり、ワークショップは終了しました。
印刷の未来を占う3つのシナリオ
後日、講師を務めた太刀川さん、ポストプレス研究会の篠原会長、今回のワークショップを企画したKonel/知財図鑑代表の出村光世の3者によるディスカッションの場が設けられました。ワークショップで生まれたさまざまなアイデアをもとに、3人が議論した未来のシナリオは以下の3つです。
①印刷がクラフトとして扱われる未来
②2.5Dプリントという新ジャンルが確立された未来
③ICタグを生分解性素材に大量・高速に印刷できる未来
ここからは3者によるディスカッションの一部を見ていきましょう。
【シナリオ①】印刷がクラフトとして扱われる未来
NOSIGNER代表・太刀川英輔氏(左手前)、知財図鑑/Konel 代表・出村光世(右手前)ハイデル・フォーラム21 ポストプレス研究会・篠原慶丞会長(右手前二人目)
出村:デジタル化の反動として、紙媒体が人の感性や記憶に与える影響や、印刷のクラフトとしての側面が注目される。ワークショップではそんな未来のシナリオも出ていました。
篠原:以前に携わった本の仕事で、クロス貼りの表紙に3色の箔押しをしたことがあったんですね。出来上がった本を個人的にもしばらく読んでいたのですが、数ヶ月したら自分が持っていた部分だけ印刷が剥げて手の跡が残り、よく開いていたページの色も変わっていたんです。つまり、自分の読書の痕跡が本に残ったわけですが、その時に本の内容が自分の体の奥にまで入ってくるような感覚があり、印刷物というのは人の記憶や感受性に影響するものなのだと感じました。
太刀川:これまでの印刷は個体差がないことが是とされてきましたが、印刷のブレやゆらぎを許容することで生まれる面白さや魅力もありますよね。均質性から脱却することで、陶芸などと同様に工芸性が増すと思いますし、そうなると印刷のクラフトマンのような人たちが活躍する未来も見えてきますね。
篠原:多くの印刷会社は「標準化」を目指していると思いますが、篠原紙工ではその逆とも言える属人的企業を目指しているところがあります。例えば、あえて紙を斜めに折る「いいかげん折り」という手法があるのですが、これはうちの一人のスタッフにしかできないんです。その一人が体調を崩すなどしてしまったら予定が変わってしまうのですが、それでも良いと思っていますし、さらに言うと特定の個人がいなくなることで消えてしまうような技法があっても良いと考えています。
太刀川:印刷の職人が人間国宝のような存在になったり、それこそ「ミウラ折り」のように「◯◯印刷」といった職人の名前がついた必殺技のような技法がたくさん生まれたら面白いですよね。
出村:そうした人たちの技術を伝承する仕組みなどもあると良いですね。会社や組織を横断した印刷職人のユニットのようなものが出てきても面白いかもしれない。
太刀川:この情報はわざわざ残す価値があると判断されたものだけが印刷されるようになると、印刷という行為の価値が高まりそうですね。大切な思い出に付加価値を与えて残す新しい印刷の役割も生まれてくるのかなと思いました。
【シナリオ②】2.5Dプリントという新ジャンルが確立された未来
出村:巷には3Dプリンターというものがありますが、印刷会社はこの領域にあまり参入していないのですか?
篠原:そうですね。多くの印刷会社は量産を前提にしているので、3Dプリンターのように一点物に時間をかけるようなつくり方だと採算が合わないと考えているのだと思います。
太刀川:最近は安価なレーザー刻印機もありますが、そうしたものが印刷機に内蔵されていたら、印刷する素材に折り線がつけられます。そうすると、自宅で出力した紙を組み立てて玩具などが簡単につくれるようになると思いました。2Dでも3Dでもない「2.5Dプリンター」ができたら面白そうです。
篠原:折り目がついた紙を組み立てることで箱などがつくれるキットはすでにありますが、そうした考え方に近いのかもしれないですね。
太刀川:2.5Dプリントによって平面的なものに構造を与えるというのは面白い視点だと思います。
出村:それは金型からの脱却という話にもつながりそうです。僕らはプロダクトなどをつくる際にモック制作やプロトタイピングをするのですが、これは紙でやるのが一番なんです。紙だと大きなモノでも安価かつ容易にできるので、よくダンボールモックなどをつくっています。この工程を2.5Dプリントの技術でサポートできる印刷会社があると、プロジェクトの上流から仕事がつくっていけるかもしれません。
太刀川:金型がなくなることは、生分解性のプロダクトが増えるきっかけにもなるかもしれない。
出村:印刷会社としては、プロダクトメーカーになることもできるし、他業種とコラボレーションして製造に特化するという選択肢もありそうですね。
太刀川:布から立体をつくる洋服などはもともと2.5Dのプロダクトとも言えるので親和性が高そうですし、型紙がなくても服が印刷できるようになるかもしれない。
出村:出力した素材を折るだけで形になる2.5Dプロダクトというジャンルを確立できるといいですね。2.5Dプロダクトはロジスティクスなどの面にも良い影響がありそうです。
【シナリオ③】ICタグを生分解性素材に大量・高速に印刷できる未来
太刀川:これは割と想像しやすい未来ですね。RFIDなどの技術によって印刷物と映像や音、振動などが結びつくと、雑誌などの体験もインタラクティブになるかもしれない。また、超小型のICタグをさまざまなものに印刷できると素材のトレーサビリティが向上しそうですよね。
出村:例えば、靴というのはさまざまな素材を複雑に組み合わせてつくっているそうなのですが、製造時に各パーツにICタグを印刷しておくことで、廃棄する時に自動的に分別されるようになったら良いですね。
太刀川:セルロースナノファイバー系の素材などにICタグを印刷できたら、100%生分解性の電子機器などもつくれそう。
出村:印刷会社が半導体メーカーや家電メーカーのポジションに入っていく未来もありそうですね。半導体が枯渇している中でこれは大きなインパクトになりそうです。
太刀川:既存の印刷物においても、印刷の設計図が書き込まれたICタグをあらかじめ紙に印刷しておいて、それをセンサーに読み取らせることで印刷、加工、製本まですべての印刷工程が自律化できるかもしれません。
出村:チップに情報を書き込める人さえいれば、あとは自動的にオンデマンドで小ロットの印刷物がつくられると。
篠原:それは面白いかもしれません。これまで印刷業界では、大量の印刷物を効率良くつくることに力を注いできましたが、もはやその方向性で描ける未来は限定的。これからは500枚すべて内容が異なるような小ロット多品種の印刷が求められてくるはずです。
出村:ICタグを印刷するインキも必要になりますね。
篠原:すでに導電性インキを開発しているメーカーはあるのですが、普及させるためにはオフセット印刷用の導電性インキの開発が必要になりそうですね。
未来の印刷を再定義する
他にも、CMYKという印刷における色の表現法を応用し、味や栄養における「CMYK」にあたる規格を印刷会社が構築する未来、ホームプリンタでメイクができる未来、印刷技術が創薬に応用される未来など、さまざまなアイデアが議論されました。
こうして印刷の未来について考える中で見えてきたのは、「文化」「経済」「社会」という3つのキーワード。
これらの観点から印刷の進化を考えることで業界の未来が開けるのではないかという仮説のもと、最後に未来の印刷の再定義を行いました。
【文化】
Ⅰ.人の創造性を刺激して、「つくる」ことをアシストする行為。
Ⅱ.人の記憶に強く残るための特別な情報媒体を生み出すこと。
Ⅲ.情報や体験を物質として歴史に残す技術。【経済】
Ⅰ.平面的な素材に立体構造を与え、新たな機能や物性をもたらす行為。
Ⅱ.金型に依存せず、構造的なプロダクトを効率良くつくり出す技術。【社会】
Ⅰ.あらゆる製造物のトレーサビリティを高める技術。
Ⅱ.さまざまな人工物を生分解性のものに置き換える行為。
デジタル化が加速し、大きな岐路に立たされている印刷産業ですが、まだまださまざまな可能性にあふれていることを感じさせてくれる2日間のワークショップとディスカッションになりました。
今回の議論をもとにまとめた3つの印刷の未来シナリオや未来の印刷の再定義は、下記のペーパー資料にもイラストとともにまとめられています。よろしければ、ぜひご覧ください。
【妄想プロジェクト①】印刷の可能性を拡張する匠の技「記憶効率を倍増させる工芸印刷」
巷の学習コンテンツの多くがデジタル化する中、とある印刷技術者が、使い込むほどにアジが出て愛着が湧くことを売りにした「工芸印刷」という独自の技術で一冊の教科書を製作する。後にこの教科書を導入した学校の生徒たちの成績が飛躍的に伸び、これに目をつけた研究者によって、「工芸印刷」に記憶の定着を倍増させる効果があることが証明される。一躍脚光を浴びることとなったこの印刷技師には、印刷業界としては異例の褒章が国から与えられ、各種メディアからも引っ張りだこに。これを期に、受け手の五感に訴えかける印刷技術を追求するムーブメントが生まれ、人間の能力を補完・拡張するという印刷物/印刷技術の新たな可能性にさらなる期待が寄せられるようになる。
【妄想プロジェクト②】最寄りのコンビニで手軽に出力「2.5Dウェアのオンデマンド印刷機」
2.5Dプリント技術が確立されることによって、印刷機だけで洋服がつくれるようになるかもしれない。全国のコンビニに「2.5Dウェア」用のオンデマンド印刷機が設置されたら、消費者は好みのサイズ、素材、色などを選択するだけで、自分だけの洋服を手にできるだろう。これは、多くのクリエイターにも大きなインパクトを与えるはずだ。洋服のデザインを2.5Dプリンタ用の出力データに変換できるソフトウエアが普及すれば、多くのデザイナーやブランド、さらには一般消費者までもが2.5Dウェア市場に参入するかもしれない。在庫や輸送のコストやリスクを負うことなく、全国のコンビニで自らデザインした洋服が販売でき、業界最大の課題である廃棄の問題も解決し得る2.5Dウェア印刷機は、アパレル産業に大きな革命をもたらすだろう。
【妄想プロジェクト③】冷蔵庫体験を激変させる 「スマート食品パッケージ by IC印刷」
冷蔵庫にある食材の情報をもとに、賞味期限の通知やレシピの提案などをしてくれるスマート冷蔵庫。その利便性とは裏腹に、在庫データの登録作業などがネックとなっていたが、ICタグ印刷の技術を活用した「スマート食品パッケージ」の登場によって状況は一変するだろう。食品の情報が書き込まれたICタグをスマート冷蔵庫が読み取るため、ユーザーは一切の作業をすることなくスマート冷蔵庫の恩恵を受けられるようになる。ICタグを大量かつ安価に印刷できる技術は、賞味期限をはじめ商品ごとに異なる情報を埋め込む必要がある食品パッケージと相性が良く、生分解性の包材を用いることで環境負荷も抑えられる。こうしたさまざまな利点からスマート食品パッケージは急速に普及し、生活者の食生活に革新がもたらされるはずだ。
TEXT/原田優輝