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2024.06.06

コラム | 地財図鑑

「人間は地球の害虫ではないかもしれない」と屋久島で思えた話

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コラム「地財図鑑」は、それぞれの地域で独自に生まれ発展した有形無形の知財を“地財=地域の財産”と捉え、知財ハンターが現地に赴いて体験するシリーズです。不定期で各地の地財を紹介していきます。


“宇宙人はいる”という説が世界的にも有力になってきているようだけど、「彼らはいつでも地球を滅ぼすことができる力があるはずなのに、なかなか侵略してこないのはなぜか?」という問いに対して「地球人は放っておけば自ら地球を壊して滅びるから、宇宙人はその時を待っているのだ」ということを言っている専門家がいるらしい。

これを知った時、そうかもなぁとめちゃくちゃ共感してしまった。

人間なんて、地球から見れば害虫のような存在だ。この世に生まれ落ちて生活するだけで、地球環境に悪影響しか与えない。もっと便利に、もっと豊かにと活動するほど、その住処を壊し自滅の道を進んでいく――。そういうふうに思っていた。

でも、今年のGWに屋久島に行って、「おやおやそうでもないかもしれないぞ?」と思えたので、滞在中に感じたことをここに記しておきたい。

Text:Minako Ushida(知財ハンター)/Top Photo:Shunzo Tanaka

Aperuyの話

私たちが泊まった宿「Aperuy」は、それはよく風の通る、気持ちの良い場所だった。世界でもトップクラスに雨が降る島らしく(日本の平均降雨量の5倍!)、滞在の前半はなかなか晴れなかったけれど、不思議とまったく不快ではない。多少の雨なら、庭に面した窓は全開のまま「あぁまた降ってるねぇ」という感じでやり過ごす。

外観

DSC 0355 Photo: Shunzo Tanaka

庭で採れた野菜中心の食事。ガスはなく、料理やお風呂は薪を使い、その薪は解体業者から引き渡されたもの。トイレの汚水は循環されて肥料になり、食べ残しはニワトリの餌になる。合成洗剤は使わず、食器洗いも洗濯も、洗顔洗髪まで同じ石けんを使う。

すべてがループする生活。でもそこには変なストイックさや義務感みたいなものはなく、快適で頑張りすぎない心地よさがあった。(もっとも、もてなしてくれたAperuyの皆さんの日々の努力と準備があるから私たちはボーッとできるという話ではあるんだけど…)

勉強机 宿題を持っていった長男も、風が通って気持ちよさそう。

一見、自然に溶け込むような生活は、環境に手を入れず身を任せているように思えた。でも、よくよく観察したり話を聞いてみると実は全然そうではなくて、緻密な“自然への介入”があることに気づく。

たとえば芝生。美しく整えられた庭の芝には不思議な溝があったのだが、これはAperuyのご主人が作ったもので、水や風の流れを整える役割がある。循環するトイレや、窓の配置、作物の植え方に至るまで、おそらくここに人間が住むことで、住む前よりも環境が良くなっているんだろうなと感じる。

庭 写真右側の溝にちゃんと意味がある。

Sumu Yakushimaの話

「人間って、自然の役に立つんだ!」という思いは、建築・環境分野で昨今話題となっている「Sumu Yakushima」を訪れて決定的になった。

Sumuのプロジェクトの中心人物の一人・今村さんのお話を聞くことができ、彼らが「住めば住むほど自然が澄んでいく」をコンセプトにしたこの実験的宿泊施設が、驚くような作り方をされていることを知ったのだ。

  • 風と水の流れを計算しつくしていること

  • 木の一本一本の役割を観察し、切るべきじゃない木は避けて建てたこと

  • そのためリビング・キッチン・ベッドルームが分散して配置されていること

  • 基礎工事で土壌を傷つけないだけでなく、高床式の基礎柱の一本一本が土中のネットワークを強化していること

などなど…。結果、元のままでは風が抜けずに“澱んで”いた場所も、植物が生き生きと元気を取り戻したという。

地中イメージ 土中はこんなことになっているそう。(画像:株式会社tonoプレスリリースより)

今村さん この写真の床下に見える独立基礎の一本一本に施されているという。気の遠くなるような建築プロセス…。(左は今村さん。お話にどんどん引き込まれる)

サイト こんな感じの建物が点在する。森を間借りしている感覚だ。

流域 ワクワクするようなマップ。山・里山・海すべてを“流域”として捉えている。

まだまだ紹介したいところだが、すごい文章量になりそうなので、興味のある方はこちらの記事をぜひ読んで頂きたい。

「カーボンニュートラルの実現に一番近い島」屋久島で出会う 自然とエネルギーのちょうど良い関係を実現する「Sumu Yakushima」とは?

屋久島から何を持ち帰るか?

二つの事例から、自分の中で勝手に膨らんでいた「人間害虫説」を覆す、希望の光を見た。でも考えてみれば、こうした“人間が手を入れることで今までよりも自然環境を良くする”という取り組みは実は身近にもけっこうあって、竹林の整備や、有機農法による土壌回復、砂漠への植林などなど、きっと世界中でたくさんの人が意義ある取り組みをしているんだろう。

リジェネラティブ——。エコやサステナブルを超える次の概念として、言葉としては以前から知っていたけれど、屋久島に行って、初めて実感を持って「こういうことか!」と腹落ちした気がする。

でもね、そう簡単にマネできないんですよ…。何かリジェネラティブな側面で役に立ちたいと思っても、個人としてなかなか今の生活をガラリと変えるような選択はできないし、社会的にも何かアクションを興すには足がすくむ。だから今村さんに聞いてしまった。「環境破壊が待ったなしの状況で、世の中にはどこか焦るようなムードも感じる。日本中の人が屋久島に行って心を入れ替えるわけにもいかないし、私たちはどうしたら良いんですかっ!?」

そうしたら、こんなふうに答えてくれた。

「まず、長い時間をかけて壊れてきたものを、短期間で戻そうと思ってもうまくいかない。自然の時間を越えて何かをすることはできないし、さじ加減は自然と相談して決めること。本当に大事なことは時間をかけないとできないと思うんです。」

「人間は山・海・野のすべてに生かされて生きている。別に屋久島だけじゃなくてみんなそう。流域として捉えられると見えてくることがあるかも。」

「危機感から何かをやると体力使いますよね。喜びとか楽しさという視点から動いて、希望を感じながらやったほうが良い。」

そうだよな〜。心から納得。

一足飛びにできることなんて何もない。自分のできるレベルで積み上げていくしかない。私の場合それは「なんとなく気持ち悪いこと・矛盾を感じること」を選ばない、ということかなと思った。工業製品みたいな食べ物、安すぎる日用品、行き先の怪しいリサイクル、来年は着なそうな服etc…。たまにマックのポテトを食べたい時は我慢しないけど笑、後ろめたくなるようなことをできるだけ選ばないようにしたら、自分の幸福度も上がるのではないか。(リジェネラティブな行動にはほど遠いし、結局そんなこと?!という感じですが…)

というふうに考えをまとめながらも、実は一点、屋久島と東京を行き来してモヤモヤしたことがあった。

それは、身近に自然が少なく、かつ多数派である都市部の人たちがいかに実感を伴って自然と向き合う視点をもつか、ということ。

私は数年前に都市部から海沿いに引っ越して、海や山がすごく身近な存在になった。変化に気づく機会も多いし、その相互作用や依存関係もなんとなく見えてきている。でも身近に自然がない場合、どうしたら自分ごと化できるんだろうか?人工庭園やグランピングでどこまで本質に触れられるんだろうか?(それ自体を否定するつもりはないけれど…)そういう疑問は、都市に住んでいた時には見えていなかったことで。

もし自分にやるべきことがあるなら、現代の多数派である都市部の人たちと自然との接続点をつくるデザインをすることかもしれないなと、ぼんやり思う。旅がそのデザインのヒントを教えてくれるのは間違いないので、ひとまずいろんなところに行って“地財”をハントしながら、「危機感からではなく、喜びとか楽しさという視点から動いて」いきたい。

同じ虫でも地球の害虫じゃなくて、ささやかでも益虫になれたら良いな。

海岸

Text:Minako Ushida(知財ハンター)/Top Photo:Shunzo Tanaka

今回出会った地財

Aperuy

屋久島にあるエコビレッジ。パーマカルチャー(永続可能な農法)をベースに自然を破壊しないライフスタイルを目指しながら、多くの人々と一緒に自然で遊び、笑い、食べ、心安らかになれる「場」を創造する。宿泊のほか、サステナブルカレッジ、ホームステイ、自然体験ガイドなども手がける。
https://aperuy.com/

Sumu Yakushima

人々が自然とのつながりを取り戻し、自然な形で人と出会い、視野を広げることができる場所を作りたいという思いから作られた、屋久島の宿泊施設。サイト内の建物は、生態系に配慮し、人と自然の調和を模索して設計されており、同時に最新のテクノロジーにより、オフグリット、高気密、高断熱の省エネ設計を基本としている。建物が森のように呼吸することでサイト全体が循環しやすい空間となり、流域一帯の一部として正しく機能している。
https://sumu-life.net/ja/


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