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2026.05.21
コラム
間(あわい)のAI、という選択
荒井 亮, 知財図鑑

はじめに
知財図鑑というメディアの編集長として、社団法人COMMONsで知財のコモンズ化に取り組みながら、日々AIと対話する時間が長くなりつつある。そんな立場からいま考えたいことがあって、連載記事を始めることにした。
シリーズのタイトルは「発明と文化のあいだに」。このシリーズでたどり着く構想を、知財図鑑の進化系として「発明のWiki」と呼んでいる。AIが爆発的な速度で発明を生み出していくこの時代。「発明と人とのあいだ」に、編集の手を入れ続けるための動的な知識のかたち。それが何になるかを、12回ほどかけて考えていく。
中ではソフトウェアルネサンス論、ハラリ『Nexus』、ユドコウスキーのAI 脅威論、オストロムのコモンズ研究などを別々の回で扱う予定でいる。第1回となる今回は、そのシリーズ全体の編集軸を立てておきたい。最近聞いたある対談に、そのヒントを見つけたからだ。
目次
はじめに
「インサイドビジョン」での対話
個と間、そのあわいにあるもの
このシリーズの編集軸
なぜこの問いを書くのか
人間の認知の外側にあるもの
発明と文化のあいだ
「インサイドビジョン」での対話
きっかけは、NEWPEACEの高木新平さんのPodcast「インサイドビジョン」だった。AIが誰もが知るメインストリームになった今、PKSHA Technologyの上野山勝也さんと、研究者として感じる好奇心と社会的責任のはざまについて深く語り合われている。そこでは印象的な論点がいくつもあった。
2026年のAIは「思春期」だ。能力は急速に上がっているのに、社会との関係性、何のために使うかがまだ定義されきっていない。
AIは人間からアウトプットの機会を奪っている。議事録の見出しを考えるような小さなクリエイティビティの積み重ねが、人間の学びを支えていたのに、それすらAIが代行してしまう。
摩擦のない世界に表現は生まれるか。失恋の痛みや分かり合えない辛さが、歌や演劇を生んできたのに。
これらだけでも示唆に富むのだが、一番心に残ったのは上野山さんの一言だった。
「人」って英語だと「Human Being」って言うじゃないですか。日本だけ「人間」って言って、「間」がすでに初めからあるんですよね。
──深夜1時の経営者ラジオ「インサイドビジョン」より
個と間、そのあわいにあるもの
日本語の「人間」は、はじめから間(あわい)を含んでいる。人は単独で人なのではなく、間のなかで人になる。家族の間、共同体の間、自然との間。個の前に関係がある。これは日本語話者にとって、ほとんど無意識の前提だろう。
しかし、英語の「Human Being」は違う。Beingとは「在ること」、つまり個として存在すること。間(in-between)は、Beingの後から付け足される。このわずかな差が、AI設計の方向性に大きな違いを生むのでは、と上野山さんは言う。そして自身でAI開発を行う経験のなかで、ある傾向が見えてきたという。人をリプレースするAI(自律エージェント型)よりも、人と人の間に介在するAIのほうが、日本では受け入れられるのではないか。
クレームの感情を吸収して伝えるAI。会議のファシリテーションをするAI。マッチングアプリで距離感が合わない発言を留めるAI。Xの自動翻訳が国境を越えた対話を可能にしているのも、「個」を強くするのではなく「間」を整える機能である、と。一対一のチャットボットではなく、知らない人同士が分かり合うための「関係性デザインのためのAI」を作ることには関心があると語る。
このシリーズの編集軸
いま、世界のAI議論の中心には、ほぼ常に「自律的なエージェント」がいる。独立して判断し、独立して行動し、独立して人類と対峙する強いAI。ユドコウスキーの悲観論も、シリコンバレーの加速主義も、議論の主語は「個としてのAI」ではないか。
Human Beingの言語感覚でAIを考えると、まず「個としての強い知能」が想像される。しかし、日本語の「人間」を出発点にすれば、AIは共同体の間を編むものとして設計されうる。このシリーズを通じて僕が探りたいのも、まさにこの軸だ。
AIを人と人の間(あわい)に置くという選択は、どのように可能なのか。その選択は、「知財」という具体的な領域でどう実装できるか。これが、この連載を貫く編集軸である。
全12回の構想を、簡単に紹介しておく。
・前半(起):「間のAI」の視点で、ソフトウェアルネサンスの現在を考える
・中盤(承):世界のAI論のトレンドと重ねてみる
・後半(転):発明とは、文化とは、特許制度とはなにか
・終盤(結):知のコモンズ化、アイデアランドスケープと発明のWiki
通して読むと、「人と人の間にAIを置く」という発想を、知財という具体の現場でどう実装するかというひとつの提案に収斂する設計にしている。
なぜこの問いを書くのか
最後に、僕自身の動機を少しだけ。知財図鑑というメディアで6年ほど、特許や研究成果といった難解で局所的な情報を、普通の人にも届くわかりやすい言葉に翻訳する仕事を続けてきた。
一種の間(あわい)の労働とも言えるこの仕事をしながら、ずっと感じていたことがある。発明そのものに「善悪」はなく、発明が「人類のもの」になるのは、社会がその発明を文化として引き受けたとき、つまり発明と人とのあいだに、誰かが間を編んだときではないか。
電球が夜をなくし、原子の力が破壊の象徴となり、インターネットが地球上を覆っていく。そのプロセスは、すべて間を編む労働の積み重ねでできている。AI時代において、発明の量は爆発的に増え、AI自身が発明の主体になる。そのとき、人間の側で間を編む仕事がどこまで設計され、どこまで耕されるかが、文明の質を決めるのではないかと想像する。
人間の認知の外側にあるもの
僕たちはいま、AIを「個として強くする」議論ばかりが先行する時代に生きているように感じる。それも必要なのかもしれないけれども、日本語を母語として、共同体の間で生きてきた者として別のルートを探してみたい。
AIを誰かの代理にも、誰かの監視にも使うのではなく、人と人の間(あわい)に置く。それは、世界の議論の主流からはまだ少しずれている。けれども、発明と文化のあいだを編集してきた人間としてここから語り始めることに、ある必然を感じている。
「AIが得意なのは、人間の認知の外側にあるものを見つけることだ」と上野山さんは言う。人間が「ここにあるはず」と思って探す範囲は、すでに人間が認知できている領域の中にしかない。AIは、その輪郭の外側に手を伸ばせる。
これは、知財図鑑が展開している「アイデアランドスケープ」がやっていることと重なる。読みにくい特許文書を大量のアイデアに変換し、膨大な数のアイデアの中から、その企業がまだ気づいていない応用可能性を見つけ出す。AIは「答えを出す道具」というより、人間の認知の外側にある可能性空間を見せる装置として働く。
発明と文化のあいだ
AIの役割を「個人の生産性を上げる」ことに閉じ込めず、人と人との関係そのものを共進化させる装置として捉える視点。そのAIで関係を共進化させるとき、そこに知財を介在させると何が起こるだろうか。発明と発明のあいだ。人と発明のあいだ。人と人のあいだ。これらをAIが媒介するとき、知財という「他者の意思の結晶」を挟むことの意味は何か。
特許とは元々、誰かが「これを世に出したい」と決めた意思の刻印でもある。その意思を、AIを通じて別の誰かの意思と出会わせる。それは単なる技術マッチングではなく、意思と意思の共進化になりうるのではないか。このシリーズで考えたいのは、その問いである。
次回(第2回)「ソフトウェアルネサンスを誰が動かすのか?」では、シリコンバレーの言説を批判的に読み直し、個の天才ではなくネットワークが主人公だったフィレンツェの史実から、AI時代の「個の最大化」と「間の編集」という二つの意思を読み解いてみます。
【参考情報】
・上野山勝也×高木新平「【原点】AI研究室から1000億超の経営者へ」(深夜1時の経営者ラジオ「インサイドビジョン」)
・木村敏『あいだ』
・國分功一郎『中動態の世界』
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