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2021.10.08

インタビュー | 伊勢 史郎

音響樽が誘う「日常からの断絶」―知財×クリエイティブが実現する未知なる体験とは

Konel inc.

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知財図鑑は、東京電機大学とクリエイティブ集団Konelとのコラボレーションにより、知財「音響樽」を用いた立体音響空間の体験型インスタレーション『TOKYO ISOLATION』をイノフェス2021に出展する。音響樽は、音響工学を追求するための研究装置で、96個のスピーカーを搭載。従来のサラウンドスピーカーやバイノーラルイヤホンとは段違いのレベルで、空間の雰囲気までを表現することが可能となっている。

「音響樽」は知財図鑑の掲載知財第一号として紹介している知財で、東京電機大学の伊勢史郎教授の研究室より知財ハンターがハントしたことにより今回のコラボレーションが誕生した。

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P1136822 立体音響により外界から断絶した没入感が得られる「音響樽」が出展されるイノフェス2021は、10月9日(土)・10日(日)の二日間で六本木ヒルズアリーナにてオンライン配信と合わせて開催される。

これまでにも、細野晴臣氏の50周年記念イベント「細野観光」にて、細野氏の楽曲を96ch化し「宇宙を旅してきたサウンド」として音響樽を用いた体験型の展示をプロデュースするなど、その特徴を最大限に活かすようなプロジェクトを企画してきた。

この音響樽のプロジェクトにプロデューサーとして参加する知財図鑑代表・出村光世とサウンドディレクションを担当した岩田渉氏が、東京電機大学の伊勢史郎教授に改めて、音響の世界の奥深さとこだわりについて話を伺った。

音と人の関係を探求する、「音響工学」の世界

P1136738 左から知財図鑑代表・出村光世、伊勢史郎教授、音楽家の岩田渉氏。イノフェス展示前まで「音響樽」が常設されていた、知財図鑑・Konelのオフィスが入っている「日本橋地下実験場」にてインタビューが行われた。

出村

音響樽」は知財図鑑にとって記念すべき初めての掲載知財ということもあり、今回またイノフェス2021のプロジェクトでご一緒できるのが感慨深いです。この機会に改めて、伊勢先生の研究についての詳しくお話をお伺いできればと思っておりまして、まず、伊勢先生の研究室のミッションである「音響工学」という分野の概要について説明していただけないでしょうか。

伊勢

音響工学というのは非常に歴史のある学問でして、物理学が成立した時にはすでに存在していました。具体的なところでいうとスピーカーやマイクといった音響機器の設計がイメージしやすいと思いますが、コンサートホールやオペラハウスのような大きな建築空間をどのように建てるかといったところにも音響工学は関わってきます。建築の空間づくりには知覚的な要素、特に聴覚の領域では音響工学は重要になります。建築や物理学、電磁気学や情報学を基礎として、多種多様な学問を吸収しながら音と人間の関係性を探求する、音響工学はそういった学問であるといえます。

P1136615 音響樽を使用したプロジェクト『TOKYO ISOLATION』の監修をした、東京電機大学教授・伊勢史郎氏。

出村

なるほど、歴史のありながらもあらゆる分野と連携する学問であると。物理学が体系化される以前から、建築の分野で必要とされてきた学問だったということでしょうか?

伊勢

そうなんです。実際、ルーツは科学よりも古いんですよ。音響工学者のことをよく「アコースティシャン」というのですが、この呼び名はサイエンティストよりも昔からありました。

出村

へぇ、それは知らなかった。

岩田

教会建築にも音響工学は深く関わっていますよね。

出村

じゃあ、中世ヨーロッパの時代から、音を考慮して教会などは設計がされていたということですか。

伊勢

音が素晴らしいコンサートホールは、結果的に理想に近い音響であるために残っている、というケースも多くあると思いますが、ただ音響効果というのはキリスト教の世界ではとりわけ重要視されています。聖書の冒頭に「始めに言葉ありき」という一節がありますが、音と神が同一視されていたという歴史は確かにあるようです。

岩田

たしかに音で神を感じるというのは、日本よりヨーロッパ圏で強く実感しますね。やっぱり教会に入ると特別な空間に入ったという緊張感を感じると思うんですが、非日常を演出するために音が重要な要素を担っていたりします。

P1136555 『TOKYO ISOLATION』にて、サウンドディレクションを担当した音楽家・岩田渉氏。

出村

つまり、そういう綿々と続く歴史の先に今の立体音響や3Dサウンドなどがあると。そう考えると、音響工学の研究はとても尊いものに思えてきます。伊勢先生が最近注力されている研究についても教えていただけますでしょうか?

伊勢

今、力を入れてるのは収録システムの小型化ですね。例えばC80フラーレン構造をフレームに用いた3D音場収音用マイクロホンというのがあって、サイズはそこまで大きくないんですが、持ち運びや設置がすごく大変なんです。3D音場を完全収録する小型の3Dのマイクロホンはまだ世界的に見てもまだ存在していなくて、これを汎用性が高いレベルまで低コスト化、小型化して、誰ももどこでも使えるような3Dのマイクロホンを作るということを今は目指しています。

出村

今までは個人レベルでは到底できなかった収録や音響体験が誰でも簡単にできるようになると。

伊勢

そうですね、この音響樽でできることがもう少しスモールサイズで実現できれば音響というものがより身近になるかなと。私たちは、「音を通じて人の存在をそのまま記録する」ということをテーマに掲げて研究をしています。やっぱり今回のこの「音響樽」の大きな特徴も、人の気配や臨場感が録音できる、あるいは、いないはずの人が実際にその場にいるように感じられるというところにあると思っています。人の感情やその場にいる空気感、言葉など、そういったものを3Dで記録して再生して聞く体験というものを音響樽でつくってみたいし、そうしたデータは今後その人の存在の記録として残り続ける大切なものになるのではないのでしょうか。

クリエイターのコラボレーションにより研究室から拡張した、「知財」と社会の接点

出村

ちなみに普段私はオフィスでもあるここ「日本橋地下実験場」で活動することが多いのですが、ガラス張りのドアからこの巨大な音響樽が外から見えるので「なんだこれは?」とたまに気になって入ってくるアーティストやクリエイターの方がいるんですよね。そこで新たな出会いが生まれたり、今回のイノフェスのようなイベントへの出展に繋がったりと、新たな出会いや動きというものが生まれた実感がありました。音響樽という「知財」をクリエイターとコラボレーションしたことや知財図鑑というメディアで発信したことで実感したメリットなどはありますでしょうか?

P1136396 『TOKYO ISOLATION』プロデューサーであり知財図鑑・代表の出村光世。

伊勢

まず、大学の研究所の中ではなく民間の企業で音響樽を設置・管理してもらうことで、開かれた新たな価値を形成できるという側面は確かにあります。役に立っているかどうかは別として、「とりあえず大学の外に置いてみる」というアクション自体が大切だと思っています。というのは、普通大学の研究成果って一回発表したらそこで終わりなんですよね。だから私たちの研究成果が民間の企業のもとに置いてあって、持続的に社会の一般の人にも触れる機会があるということはとても有意義です。

出村

僕らも初めて先生の研究室にお邪魔した時はとても楽しかったのですが、そこからこの音響樽にたくさんの人々が出入りしていったことを考えるととても感慨深いです。今回のイノフェスの展示で終わらず、今後も何か仕掛けていきたいですね。ちなみに岩田さんは、音楽家や芸術監督としてさまざまなプロジェクトに関わられてきたかと思いますが、普段のコラボレーションとは少し違った面白さを感じたりはしますか?

岩田

違う面白さということでは、音響樽で音を再現する理論に惹かれますね。音響樽は原音場を忠実に再現するというところに重点が置かれていて、どうすれば再生デバイスとしての音響樽のポテンシャルを最大限引き出すことができるのか考えることができるのがとにかく楽しい。私は作品を制作する時に自分のやりたいことを突き詰めてしまいがちなんですが、どんな表現をすれば「道具」のポテンシャルを引き出すことができるのかと考えることができるのも音響樽の魅力のひとつだと思います。

P1136173 この日は伊勢氏・岩田氏を交えて、出展に向けた「音響樽」の最終的な音響チェックが細部にわたり実施された。

出村

確かに音を鳴らす道具として音響樽を捉えると、とても興味深い存在ですね。これから音響樽は展示もあり、この場所からは少しの間離れていってしまうのですが、また大学の外に置くことになったら今度はどういった方とコラボレーションしたいか、どういった場所に置いてみたいかなど構想はありますか。

伊勢

そうですね、僕が例えばビジネスとして音響樽を使うなら、写真館に置いてみたいですね。

出村

おお! 写真館ですか。

伊勢

はい。写真館っていうのは、人々の節目や家族の記憶を残すための場所じゃないですか。音響樽を置くことで視覚的に残すだけでなく、音響としても残すことができるといいんじゃないかと考えています。このサイズなので直接置くとなると難しいかと思いますが、先ほどもお話しした小サイズ化・低コスト化を実現させて、収録と再生を分けることができたりすると現実的ですよね。

出村

いいですね。写真と3D録音データがセットで出力されるみたいな。レンタルサービスにして、旅行の数日だけ持っていって思い出を記録できたりすると良さそうです。

伊勢

その3Dデータはスマホや家でも聞けるし、もっとリッチに聞きたいと思ったら音響樽を使う、みたいな棲み分けができるとなお良いですよね。

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音を3Dで立ち上がらせる「立体音響」を知覚するための環境とは

出村

ちなみにちょっと話は逸れるんですが、今AirPodsとかドルビーサラウンドとか、市販のイヤホンも進化してきてると思うんですが、イヤホンだとどこまで立体音響に近づけるんでしょうか。

伊勢

実はイヤホンで立体音響をつくるという技術自体は昔からずっとあって、僕もその研究をやっていました。けど、やっぱりなかなか難しいですね。音響工学の中では立体音響は多数のスピーカを用いて「空間的に生成する」という考えが主流になってます。音響学ではイヤホンで立体音響を聴くというのは諦めてるというムードを感じます。音の空間は頭部の周りに形成するのが鉄則というのが主流になりつつあるように思います。

出村

とても深い話なのでもう少し聞いてみたいのですが、イヤホンが不利だと言える具体的なボトルネックはあるんでしょうか。

伊勢

要は、イヤホンって耳を圧迫するんですよね。だから、つけた瞬間に周囲の空間の広がりを感じることができなくなる。たとえ鼓膜の運動を制御できたとしても難しくて、そもそもの「空間の感じ方」が変わってしまうんですよね。だからボトルネックのひとつとしては、イヤホンを装着した時に感じる触覚というものがあります。あと、もう一つの問題は頭の動きですね。イヤホンで空間を再現する場合、頭の動きを補正する信号をリアルタイムに出さないといけないのですが、その計算が頭の動きに追いつかない。

出村

なるほど、そもそもイヤホンをつけた状態で奥行きを感じ取るのが難しいんですね。

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伊勢

それから、よく言われるのは耳の形の個人差ですね。特に外耳道の広さというのがカギで、一応頭を動かさないという条件付きですが、個人ごとの外耳道の内部形状を計算に入れた上でうまく音を調整すれば、リアルな立体音響を再現できるようです。だから、むしろ外耳道の補正さえできれば、リアルな音に近づくことができるのかもしれない。

岩田

今、耳を撮影してHRTFデータ(頭部伝達関数)としてヘッドフォンやイヤフォンに実装するというサービスが始まってますよね。パーソナライズするということがおそらく重要なのかなと。ちなみに、現在バイノーラルの作品を制作しているのですが、その中で感じたことがあって。バイノーラルの場合、後方から聞こえる音の方向性はつかみやすいんですけど、前方から聞こえる音の場合、上下の定位も後方からの音に比べて把握しづらいです。想像するに、目が前についてることによって前方の位置情報はあまり聴覚に頼っていないことが原因なのではないかと思ってるんですが、伊勢さんはどうお考えですか。

伊勢

人間には「見えないのに聞こえるはずがない」っていう思考回路が頭の中にあるように思います。イヤホンで前の方に音の位置を提示しても、とにかく何も見えていないので、つくり手の狙いの音情報から遅延差が出てしまったり掴みづらかったりするのではないでしょうか。

岩田

錯覚するんですね。

伊勢

そうです。あと、やっぱり人間は頭を動かした時に音源を特定するんですよね。だから頭を動かさないと定位自体が難しい。例えば、音が聞こえる方向を判断する時に、頭を一切動かさないで当てるというのは難しいんですよ。頭を微妙に動かすことによって、両耳の周波数特性が違ってくる。それで、音が前から聞こえるのか後ろから聞こえるのかを感知することができるんです。

岩田

なるほど、普段身の回りの音を聞いてる時は自然と頭を動かしているから知覚できるけど、ヘッドホンやイヤホンだと頭を動かしても聞こえ方が変わらないから錯覚しづらいということですね。

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出村

いや、面白いですね。思いがけず音響のディープな世界のお話までお伺いすることができました。最後に、今回の音響樽の出展について、岩田さんと伊勢先生それぞれ、イノフェスに来場される方に向けてコメントもいただけますでしょうか?

岩田

昨年から進めてきた「没入」についての研究プロジェクトの第二弾として、鑑賞者自らが深奥へと沈潜するサウンド・インスタレーション『TOKYO ISOLATION』を制作いたしました。今回の制作にあたり、立体音響の方式の一つである7次アンビソニックスから、「境界音場制御(BoSC)の原理」を用いて原音場を再現する「BoSC」への変換を試みています。静かに目を閉じ、頭部で再現される立体音響と、全身で感じるヴァイブレーションを通じ、都会の喧騒を離れ、深部と出会う没入空間に身を浸してみてください。

伊勢

音は目には見えませんが、ヒトにとって大切な道具です。声を出すこと、楽器を弾くことなど音の発生において技能が必要ですが、実は音を聴くという技能も存在します。サイバー空間の中で音を出して、音を聴くための技能を存分に発揮するためのインターフェースとして没入型聴覚ディスプレイ「音響樽」は開発されました。リアル空間からサイバー空間への聴覚的な旅、ひとときの体験ですがお楽しみください。

◯イノフェス2021 開催概要
イベント名:J-WAVE INNOVATION WORLD FESTA 2021 supported by CHINTAI
開催日:2021年10月9日(土)、10日(日)
時間:開場 12:00 開演 13:00
場所:六本木ヒルズ・ヒルズアリーナ/大屋根プラザ
配信:六本木ヒルズアリーナより生配信
アーカイブ配信期間:10月11日(月)18:00~10月17日(日)23:59まで
イベントHP:https://www.j-wave.co.jp/iwf2021/

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伊勢 史郎

伊勢 史郎

東京電機大学 音響空間研究室 Sound Field Lab.

三次元音場制御に関する理論・数値計算・実験的研究・実用システムの開発を行ってきており、この分野では高く評価されている。特に音場制御の分野では古くから実現がほぼ不可能と考えられていた、三次元波面の生成がディジタル信号処理技術を駆使すればそれが可能であることを理論的に証明した境界音場制御(Boundary Surface Control, BoSC)の原理は実用的価値も認められ、国内外でもこれまで実現されていない聴覚的な気配の生成に成功している。平成22~28年度にはJST戦略的創造研究推進事業CRESTの「音楽を用いた創造・交流活動を支援する聴空間共有システムの開発」の研究代表者となり、世界初の没入型聴覚ディスプレイ「音響樽」の開発を行い、二人の演奏家が遠隔環境でアンサンブル演奏を行いながら共にコンサートホールのステージ上で互いの存在を感じることを可能とするリアルタイム音場共有実験に成功した。

Konelは「妄想と具現」をテーマに、30職種を超えるクリエイター/アーティストが集まるコレクティブ。 スキルの越境をカルチャーとし、アート制作・研究開発・ブランドデザインを横断させるプロジェクトを推進。日本橋・下北沢・金沢の拠点を中心に、多様な人種が混ざり合いながら、未来体験の実装を続ける。 主な作品に、脳波買取センター《BWTC》(2022)、パナソニックの共同研究開発組織「Aug Lab」にて共作した《ゆらぎかべ - TOU》(KYOTO STEAM 2020 国際アートコンペティション スタートアップ展)や、フードテック・プロジェクト OPEN MEALS(オープンミールズ)と共作した《サイバー和菓子》(Media Ambition Tokyo 2020)など。

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