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2026.05.15

インタビュー | 有馬 トモユキ ×竹林 正豊

「勘違い」から文化が生まれる。有馬トモユキが語る1998年の衝撃とデザインの変数―【欲望ハンタージャーナル】 #04

さくらインターネット 株式会社, Blooming Camp

yokubou Hunter-Journal vol4 260512

「『やりたいこと』を『できる』に変える」を企業理念に掲げるさくらインターネットは、これまでにデジタルインフラの第一人者として多くの企業や教育の現場にコミットしてきた。そしてこの度、さくらインターネット社長室とコネル/知財図鑑の取り組みとして、来たる2030年に向けたスローガン「やりたいが増えちゃう世界へ」を制定。情熱を燃やし、他者を巻き込み、熱量の高い「やりたい」がインターネットのように広がっていく――そんな世界像を模索すべくスタートしたのが『欲望ハンタージャーナル』である。

第4回目のゲストは、日本デザインセンター(以下、NDC)のクリエイティブディレクターとして活躍する有馬トモユキさん。アニメ、ゲーム、グラフィック、Web、UI、そしてタイポグラフィといった膨大なジャンルを越境するフットワークの軽さと、デジタルを立脚点としながらつくり手の体温を感じさせる唯一無二のデザインで、多くのクライアントを抱えるトップランナーだ。実は、2016年にさくらインターネットが創業20周年を迎えた際に、ロゴ、VI、サイン、およびコーポレートフォントなどの企画・制作全般を手がけたのが、他でもない有馬さんだった。

DFEXw-gVoAIff3c さくらインターネットVI(2017)|Webをはじめ名刺・封筒などの紙媒体から、データセンターなど設備のサインまで総合的にリブランディングを行った

父親がエンジニアという家庭に生まれ、コンピューターへの偏愛をきっかけにデザインの世界に飛び込み、Flash全盛の時代から現在まで走り続けてきた有馬さんの「やりたい」の導火線はどこにあるのか。そして、AIが世界を塗り替えつつある今、自ら手を動かし続けることの意義とは何か――。アートやデザイン関連の圧倒的な蔵書に目を奪われる銀座のNDCオフィスにて、さくらインターネット社長室・室長の竹林正豊さんが聞いた。

イラレのパスを見た瞬間に、「俺の人生解決した!」 と思った

竹林

お久しぶりです。これまでの有馬さんの経歴は(特集が組まれた)『アイデア』412号(※1)が良すぎて、そちらを読んでください! で全振りしちゃおうと思っていて(笑)、今日はまだ語られてこなかったことも深堀りしていけたら嬉しいなと。

有馬

了解です(笑)。とはいえ、少しキャリアの始まりを要約すると、父親がエンジニアだったので早くからコンピューターには触れていて、12〜13歳の頃にインターネットに衝撃を受けたんです。で、クリエイティブのコミュニティ──具体的には掲示板とか個人ホームページの時代ですよね。それが直撃した後にデザインの世界にも触れちゃったと。「どっちもやりたい!」ってなったときに、「じゃあ僕はどうすれば!?」みたいなことから喋らせてもらいました。

DSC08696 有馬トモユキ | 日本デザインセンター オンスクリーン制作本部 / ​​クリエイティブディレクター

竹林

特集の最後にある、室賀清徳さん(※2)の寄稿「有馬トモユキのデザイン:コンピューティングとコンテンツの狭間から」が象徴的ですよね。「現代のグラフィックデザインは戦後デザインの黄金時代である1960年代の状況と並ぶくらいおもしろい、豊かな時代を迎えている(中略)その中心にいるのが1980年代生まれのデザイナーたちだ」と。

僕は有馬さんより3つ上の1982年生まれで、まさに同時代を生きてきたんだなと感じまして。その上で特集を読んでいてビックリしたんですが、有馬さんってPowerBook(※3)で「Adobe Illustrator 8.0」(※4)から使われてたんだなと(笑)。

有馬

中学に上がる頃くらいにお年玉貯金で購入したPowerBookでイラレを使って、パス(ベジェ曲線※5)を見た瞬間に、すごく自分が安心した瞬間があるんですよ。何かの課題が解決したとかじゃなくって、「俺の人生解決した!」みたいな、よくわかんない感覚があって(笑)。「手の精度が」とか、「肉体が」とか、「目が」とか、「訓練が」とか、そういうお題目を全部飛び越えて、そこに「完全な円がある」と知ってしまったときに、「うわ、いけるぞこれ」みたいなブレイクスルーがあったんですよね。それが1990年代末の出来事でした。

竹林

そこから始まって、まずFlashに触れられたっていうのがめちゃくちゃ興味深くて。そして中学3年生の頃にはもう、中村勇吾さん(※6)とジョン・マエダさん(※7)の作品を見ていたと。

DSC08855 竹林 正豊|さくらインターネット株式会社 社長室 室長

有馬

たしか、翔泳社さんから出ていたFlash 4の教本があって、その中でも「YUGOP.COM」(かつての中村勇吾さんの個人サイト)がすごいぞ! って騒がれていた記憶があります。それ以前には、ジョン・マエダさんによる『The 10 Morisawa Posters』のような、いわゆるグラフィックデザインとコンピューターの融合に成功した作品が東京TDC賞(※8)を受賞したぞとコラム的に書いてあったりとか、ちょっとしたサンプルコードが載っていたりとか⋯⋯。なんか、そういう本たちが僕の人格を形成してくれたんでしょうね。

竹林

そもそもの有馬さんの興味の入り口としては、コンピューティングとクリエイティブのどちらだったんでしょうか。

有馬

完全にコンピューティングです。Appleのカタログとか『MACPOWER』(※9)を見てうっとりするタイプの、イヤな小学生というか(笑)。「早く大人になりたいな、大人ってカッコええな。こんなカッコいい機械で、なにしてるかよくわかんないけど」みたいな感じだったんで、漠然とそういう仕事に就きたいなって思っていたら、あれよあれよとインターネットがおもしろくなっちゃって。

竹林

お父さまがエンジニアだったとお聞きしましたが、エンジニアリングの世界に行こうとは思わなかったんですか?

有馬

それも思ったんですけど、当時はまだ中学生じゃないですか。「父親と同じことしてもなあ」って思いません? 将来家族で集まったときに、俺は親子2世代で延々とエンジニアリングの話すんのか⋯⋯みたいなことを子ども心に想像して、「さすがにちょっとダサいかも」って。それで絵や音楽の勉強を始めたんですが、早々に挫折することになりまして⋯⋯。

当時のインターネット友達というか、ホームページで相互リンクしている人たちの中にプロのイラストレーターがいたんですよ。初音ミク(※10)のキャラクターデザインで有名なKEIさん(※11)もそのひとりで、言うまでもなくめちゃくちゃ絵がうまい(笑)。彼らの作品を見ていると「絵は無理だな」って痛感するわけです。みんな絵上手人(うまんちゅ)ばっかりなんで、「もうちょっと違うところにいこう」と。デザインはずっと好きだし、いつかデザインを通して彼らのようなクリエイターと協業できる日が来るかもしれないと思い至ったんです。

※1 『アイデア』・・・1953年創刊、誠文堂新光社発行のグラフィックデザイン・タイポグラフィ専門誌。国内外のデザイナーの作品や思想を深く掘り下げる特集で知られ、70年以上にわたって日本のデザイン界をリードしてきた。現在は季刊。創刊号から300号まで、日本デザインセンターの創立者の一人でもある巨匠・亀倉雄策がロゴを手がけた

※2 室賀 清徳・・・元『アイデア』編集長で、グラフィックデザインに関する書籍を数多く手掛けてきた編集者/評論家/教育者

※3 PowerBook・・・Appleが1991年から2006年まで販売していたプロフェッショナル・ハイエンド向けノート型Macintoshのシリーズ名

※4 Adobe Illustrator 8.0・・・1997年11月に発売されたAdobe製のベクターグラフィックソフト。ベジェ曲線を用いたパス操作による精緻な描画を特徴とし、印刷・グラフィックデザイン業界の標準ツールとして広く普及した。グラデーションメッシュツールの搭載など表現力の大幅な向上が図られたバージョン8.0は、安定性・操作性の高さから特に評価が高く、長年にわたり使い続けるデザイナーも多かった

※5 パス(ベジェ曲線)・・・ベクターグラフィックソフトにおける描画の基本単位。2つの端点(アンカーポイント)とその方向を制御するハンドルによって、滑らかな曲線や直線を数式で表現する。1960年代にフランスの数学者ピエール・ベジェが自動車の車体設計に応用したことで広く知られるようになり、現在はIllustratorをはじめとするデザインツールの根幹技術として定着している

※6 中村勇吾・・・1970年生まれ。東京大学大学院修了後、橋梁設計会社を経てウェブデザインの世界へ。2004年にデザインスタジオ「tha ltd.」を設立。インタラクティブデザインの第一人者として、UNIQLOのウェブディレクションやKDDI「INFOBAR」のUIデザイン、NHK「デザインあ」のディレクションなど幅広く手がける。本連載の第3回にも登場

※7 ジョン・マエダ・・・1966年生まれのアメリカ人デザイナー・アーティスト・教育者。MITメディアラボで計算技術と芸術・デザインの融合を探求し、インタラクティブグラフィックスの先駆者として世界的な評価を得た。『シンプリシティの法則』(2008年)など著書多数。ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン(RISD)学長も歴任。1990年代の日本のウェブデザイン界にも多大な影響を与えた

※8 東京TDC賞・・・1990年より毎年開催されている、「文字や言葉の視覚表現」を軸に開催するグラフィックデザインの国際賞。1987年に設立された東京タイプディレクターズクラブ(TDC)が主催

※9 MACPOWER・・・1990年にアスキーが創刊したMacintosh専門誌。愛称は「まーぱ」。中〜上級者向けの専門的な記事が多く、Mac黎明期から普及期にかけての日本のMacユーザーを支えたバイブル的存在。同社刊『MacPeople』と並びMac雑誌の双璧として親しまれたが、2007年に休刊。当時のクリエイターやエンジニアに熱狂的に読まれた

※10 初音ミク・・・2007年にクリプトン・フューチャー・メディアが発売したボーカル音源ソフトウェア、およびそのキャラクター。ヤマハの音声合成技術「VOCALOID」を採用し、パソコン上で自在に歌声を生成できる。発売後すぐにニコニコ動画を中心に爆発的なブームを起こし、ユーザー発の楽曲・イラスト・動画が無数に生まれるなど、日本発のポップカルチャーとして世界的な広がりを見せた

※11 KEI・・・1981年生まれの日本のイラストレーター・漫画家。ライトノベルの挿絵などで活動するなかで、2007年にクリプトン・フューチャー・メディアの依頼を受け、ボーカル音源ソフト「初音ミク」のキャラクターデザインを担当。その後も「鏡音リン・レン」「巡音ルカ」のデザインを手がけ、VOCALOIDシリーズを象徴するビジュアルを確立した

1998年の洗礼と衝撃

竹林

絵心の部分で挫折を経験したことで、自分の中にある「やりたい」を見つめ直すことができたと。中高生の頃はどんなカルチャーに触れていたんですか?

有馬

今振り返ってみても、カルチャーの特異点だったと思いますね。いわゆる90年代後半のDOS/V(※12)とか、Windows向けのゲームだとか、グラフィックカード(※13)が出てきた頃ぐらいの時代のゲームカルチャーを雑誌経由で見聞きしていたので、すごく興味が沸いたんですよ。1998年ってまだ中2〜中3なんですけど、相当ヤバい時代で。

竹林

具体的には、どうヤバかったんですか?

有馬

だって、GoogleとiMacとドリームキャスト(※14)と『メタルギアソリッド』(※15)が同時に出てきた年ですよ! もう意味わかんない(笑)。中2のガキでも、「すごいこと起きてんな」とは肌で感じるわけですよ。時代の推移が急にモダンになったというか、現代の基礎がそこでできたんじゃないか⋯⋯みたいな。Windows 98(※16)は言うまでもなく、駅前の本屋さんとかに行くと、スティーブ・ジョブズがiMacをプレゼンしている。その横ではGoogleのラリー・ペイジが「検索エンジンとは何か」を問いている。90年代って個人ホームページもとてつもないカオスだったじゃないですか。

いっぽう文芸の世界に行くと、『スノウ・クラッシュ』(※17)っていう本が置いてあるんですよ。ニール・スティーヴンスンというSF作家の作品で、世界で初めて「メタバース」という言葉が出てくるんです。それのアスキー版が半透明のカバーデザインで、奥に基盤が描かれていて「最高かよ」みたいな(笑)。あ、98年といえば、『電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム』(※18)の年でもあるんですよ。要するに、とてつもなく刺激的な98年という時代を経て、「コンピューターとカルチャーは最高だぜ」と。それで気づいたら、デザインにもハマっていた。

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竹林

いやあ、有馬さんの熱量に圧倒されました⋯⋯(笑)。『アイデア』によれば幼少期に故郷の長崎から東京に移住し、90年代の終わりから2000年代前半を渋谷で過ごされていたと。あの時代の渋谷って、誰もが認めるカルチャーの最先端だったじゃないですか? そこをバックボーンとして持っているのが有馬さんの強みなんじゃないかと思っていて。

有馬

長崎出身の田舎者だったからなのか、「場所」にエンハンスされるっていうことを信じてるところはありますね。僕、この会社に17年ぐらいいるんですけど、(東京にいることが)怠惰な自分を相当助けてくれてる部分もある。「ほっといてもなんか起きてる!」みたいな。で、渋谷もそういう部分があったわけですよ。学校帰りに「あれなに?」と思ったことを、すぐ現場に見に行くことができたというか。その点ではすごく恵まれていたと思います。98年〜99年ぐらいの世紀末で混沌としてる時代に、いいタイミングで好きなカルチャーにアクセスできたあの時期って、現代で言うGoogleであり、SNSでもあったんじゃねぇかって気がしますよね。90年代後半って、竹林さんはどこで何をされていたんですか?

竹林

僕はね、奈良の法隆寺のある隣町に住んでいて、大阪芸術大学で建築の勉強をしていました。まあ、建築とはみたいなことをずっと考えて、ほとんど遊んでただけなんですけど(笑)。そう考えると摂取してきたカルチャーがけっこう違うんだなと思って。当時も『新建築』(※19)とか、『商店建築』(※20)とか、『10+1』、『Casa BRUTUS』みたいな建築系の雑誌を読んではいたものの、ちょっと遠い世界に感じてしまう部分もあって。中村勇吾さんもWebの世界に進む前に橋梁設計会社にいらして、「設計から完成までのスパンが長すぎる」という葛藤があったそうなんですが、僕にとっての建築も近いジレンマを感じていたんでしょうね。それで、「物理の建物をつくるより、頭の中で建築する世界のほうがおもしろいんじゃないか」との思いに至って、最初の就職先は雑誌編集の世界に進みました。

有馬

なるほど。

竹林

僕の両親は公務員でして、微妙に厳しい家庭だったんですよ。だからゲームが全然できなかったし、今でもあまり得意ではない。『ウイニングイレブン』と『パワフルプロ野球』くらいしかできないです(笑)。昔、親戚のおっちゃんがファミコンを買ってくれたんですけど、「アホになるからやめろ!」って親父に封印されちゃって⋯⋯。

有馬

それってもったいないですよね。最近は武蔵野美術大学で非常勤をやらしてもらってるんですけど、親に「興味のあること」や「やりたいこと」を止められたりするのって人生の損失だから、無視してやったほうがいいぞって教えてるんです。あ、竹林さんのご両親を責めるつもりはまったくないですよ(笑)。

竹林

ゲームもそうですが、志村けんやとんねるずの番組もダメやったんです。おじいちゃんの家に泊まりに行ったときにこっそり見たりしてました(笑)。

有馬

「ピンクの象を想像しないでください」(※21)じゃないけど、大人に禁止されているモノ・コトほど頭から離れなくなりますよね。

竹林

でも、だからこそ今の僕のベースにある「アンチ」だったりとか、既存の枠をどうハズすか⋯⋯みたいなことを考えたりとか、フレームやルールについて考えるきっかけにはなったかも。僕、絵が全然上手いわけじゃなくて、大阪芸大にもデッサンのテストがない後期入試で入ったんですよ。それで最初のデッサンの授業では定規を使って線を描いてたんですが、先生に叱られまして。「世の中にまっすぐな線はない!」って(笑)。「でも、これ(建物)を作った人はまっすぐにしたかったんじゃないすか?」って、先生とぶつかりまくってました。何が正解かわからないのに、確からしいことをいう先生が苦手だったんですね。

※12 DOS/V・・・1990年に日本IBMが発表した、PC/AT互換機上で日本語表示をソフトウェア的に実現したDOSオペレーティングシステム

※13 グラフィックカード・・・いわゆるビデオカード/グラフィックボードのこと。PCゲーム、動画編集、3Dモデリングなどの高負荷な映像処理を担当する

※14 ドリームキャスト・・・1998年にセガが発売した家庭用ゲーム機。標準でモデムを搭載しネット対戦や情報配信に対応するなど、家庭用ゲーム機としていち早くインターネット接続機能を実装した先駆的なハードウェア。『シェンムー』『ソウルキャリバー』など意欲的なタイトルを多数輩出したが、2001年に生産終了。その革新性は後の時代に再評価され、熱狂的なファンを今も持つ

※15 『メタルギアソリッド』・・・1998年にコナミが発売したPlayStation用ステルスアクションゲーム。小島秀夫が監督を務め、敵の視野や聴覚を利用した「隠れながら進む」というゲームプレイと、映画的な演出・重厚なストーリーで世界的な大ヒットを記録。ゲームを「インタラクティブな映画体験」へと昇華させた作品として高く評価され、その後のゲームデザインに多大な影響を与えた

※16 Windows 98・・・1998年にマイクロソフトが発売したOS。前身のWindows 95の完成度をさらに高め、インターネットブラウザのIE(Internet Explorer)をOSに統合したことで一般ユーザーのインターネット普及を加速させた。USBの標準対応や動作安定性の向上も評価され、世界中で爆発的に普及。パソコンが「仕事の道具」から「家庭の必需品」へと移行する転換点となった

※17 『スノウ・クラッシュ』・・・アメリカでの初版は1992年だが、日本では1998年10月にアスキーから出版。その後、2001年4月に早川書房から文庫本として出版された。さらに21年を経た2022年1月には文庫版が復刊

※18 『電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム』・・・セガが1995年にリリースした世界初の対戦型3Dロボット・バトルアクションゲーム。1998年にアーケードゲームとして稼動開始した第2作『オラトリオ・タングラム』は、通称“オラタン”としてファンに親しまれた

※19 『新建築』・・・1925年創刊、新建築社が発行する日本を代表する建築専門月刊誌。国内外の最新建築作品を質の高い写真と図面で紹介し、竣工作品の一次記録として建築家や設計者に長く支持されてきた。1950年代には「伝統論争」を誌上で展開するなど、建築ジャーナリズムの形成にも大きな役割を果たした。創刊から100年を超える現在も刊行中

※20 『商店建築』・・・1956年創刊、商店建築社が発行する店舗・商業空間デザインの専門月刊誌。レストラン、ホテル、ファッションストアなど最新の店舗デザインを豊富な写真や図面とともに紹介し、インテリアデザイナーや建築家に長く支持されている

※21 ピンクの象・・・「ピンクの象について考えるな」と言われた瞬間、誰もが頭の中にピンクの象を思い浮かべてしまう──そんな日常的な経験を指す比喩表現。20世紀後半に心理学者ダニエル・ウェグナーが「思考抑制の逆説効果」として実証した。「〇〇を考えてはいけない」という禁止命令が、かえってその対象への注意を強化するという現象

デザイン・アート・クリエイティブを定義しない理由

竹林

「デザイン」と「アート」と「クリエイティブ」って、けっこう近い意味で扱われることもありますけど、実態は違うじゃないですか? 有馬さんはこれらをどう定義されていますか。

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有馬

実は、定義は意識的に避けている部分が正直あって。「クリエイティブディレクター」って名刺に書いてあるのは何かって言うと、入口から話を聞いたら企画を立てたりすることがあるし、いわゆる「見た目」以外の部分を包含することがあるから。たとえばゲームの企画だったら、こういう設定があるからこういう様式が花開くんじゃないか? とか、そういうことを話す場合があります。いっぽうで展覧会とかの仕事だと、コピー表現とか、その章割りというか、空間の構成とかを名前で定義することもある。

アートって、僕の中では「見た目」と「心」の両方が入ってるみたいなところがあって、デザインは「見た目」と「ロジック」と「心」が全部入ってて⋯⋯みたいな、その混ざり具合がちょっとだけ違うのかな? 程度の解像度ではありますけどね。なんかそれって、「心はどこにあるの?」みたいな問いに近いっていうか、人によってはそれが頭なのか、お腹なのか、全体なのかみたいな。

それもあって、デザインの作業を毎日やってるんだと思うんです。タイポグラフィを組み換えたり、その見た目について考えたり、ラフを切ったりしているわけですから。少なくとも手は動かしていたほうがいい。手前味噌ですけど、NDCはそのへんが徹底されていますね。デザイナー自身が全員ちゃんと手を動かしているので、いわゆる口だけの指示役は存在しない。

竹林

なるほど、デザイン、クリエイティブど真ん中の有馬さんがあえて定義しないとかめちゃめちゃおもしろいですね。僕は、デザインって割と「設計」と言い換えできるんじゃないかと思っていて。まさに「見た目」と「ロジック」と「心」がつながるのが設計で、クリエイティブはもっとアウトプットに近いのかな。そこに個人のパッション的なものとか、作家性が強くなってくるとアートになるのかなって勝手に感じています。

有馬

「偶発」とか「気づき」が多いとアートになるのかもしれないし、「定義」とか「ロジック」が隠れているとデザインっぽくなってくるのかなとは思います。「アートディレクター」って名乗っているときって、結局はその見た目全般を「統御」する人っていう意味でのアートディレクターなんでしょうね。

竹林

NDCでいえば、2025年には「有馬デザイン研究室」が立ち上がったじゃないですか。これ、デザイン“室”じゃなくて“研究室”と称しているのがおもしろいなと思っていて。有馬さんは“研究”をどのように捉えてらっしゃいますか?定義の話ばかりして、すみません(笑)。

有馬

うちの会社は、自分の部署ができると「研究室」や「研究所」になるんですよ。なぜかというと、NDCでは制作室と研究室がきっぱりと別れていて、「制作」はいわゆるクライアントワークです。で、「研究」は「ハテナマーク」が多いものと捉えていますね。僕はそれ、すごくしっくり来る分類だと思っていて。全然ポジショントークのつもりじゃないんですが、ゲームや漫画やアニメの仕事をやっていると、劇中における世の中って仮説だらけなんですよ。「こういう素材が出たときに都市設計はどうなるの?」みたいな話を、仕事を通してプロットしている。

たとえば、アシスタントと一緒に「建材が自動修復するんだったら、都市はこういうカタチになっていくんじゃないか?」みたいなことを何週間もかけて書いたりして。そのアシスタントが建築を学んでいることもあって、仕事におけるハテナがスムーズに解決することもある。それも研究といえば研究ですよね。あるいは、別の会社さんと「このサービスを作るためには、どういうタイプのデザインが必要になってくるんだろう?」っていう仮説を、デザインする前に年単位で探る――みたいなこともやったり。自分の中では、そういう「探ってる」状態が研究なのかなって。

竹林

僕の感想なんですけど、先ほど「定義」について訊いたときに、「研究」であれば有馬さんが一番話しやすいかもなと思って(笑)。10年前に有馬さんとお仕事した後、会っていない間に慶應義塾大学大学院のシステムデザイン・マネジメント研究科(SDM)に通っていまして、定義とかシステムが気になっちゃう病になってるんです(笑)。その流れで、仮説検証やイテレーション(一連の工程を短期間で繰り返す開発サイクル)をある種の「研究」だと思ってチャレンジしている部分がありまして、世の中を「システム」だと仮定するなら、このシステムってわりと定常業務の部分だと思うんですよね。

ただ、このシステムだけだとおもしろくないし、システムって放置してても増えないんですよ。その手前の部分にあるのが有機のプロジェクトだと思っていて、そのプロジェクト≒研究・仮説検証となり、成功したものがシステムになって、それがどんどん膨らんでいき、失敗したものはまたチャレンジの種になっていく⋯⋯「研究」においては、そんなサイクルこそが必要なんじゃないかと。

有馬

すごくわかります。竹林さんは『機動警察パトレイバー』(※22)ってご存知ですか? 近未来の東京が舞台なんですが、作中に「レイバー」という作業用の重機から発展したロボットが出てくるんですよ。それを使った犯罪やテロが増えたから、警察もレイバーを運用するようになった⋯⋯という世界観です。すごいのが押井守さんが監督した劇場版第二作目の『機動警察パトレイバー 2 the Movie』(1993年)で。何が起きるかっていうと、公務員たちがみんなそれぞれ真面目にやるべきことをやり続けた結果、東京がほぼ戦争状態になってしまうんです。誰も間違ったことはしていない。みんながちゃんとやったのに、一番良くないことが起きてしまった。戦争ってこうやって起きるのか⋯⋯と。

押井守監督による完全監修のもと、4Kフィルムスキャン&デジタルリマスターが施された『機動警察パトレイバー 劇場版』『機動警察パトレイバー2 the Movie』の予告編映像

有馬

ちょっとした思い違いや縄張り争い、意地の張り合いの積み重ねで、新宿のど真ん中に戦車が走るようになってしまう。平和な街を目指していたはずなのに、気がつけば人っ子ひとりおらず、戦車と自衛隊と、犬だけがいる世界。僕、小学生の頃に観てて、当時は意味がよくわからなかったんですけど(笑)、大人になった今、「これってデザインでどうにかできないかな」って思うんですよ。

竹林さんもおっしゃるように、システムってちゃんと運用すると逆に痩せ細っていくところがある。パフォーマンスが0.96 × 0.96 ×……と積み重なって、気づいたら0.9を切ってました、みたいなことが起きる。だから、成長の余地とか、あえて埋めないままにしておく「余白」って、どうやって設計すればいいんだろう? というのはずっと考えていますね。正直それは、さくらインターネットさんのVIマニュアルを書いているときでさえ、頭の中にありました(笑)。全部書くのが務めなんだろうけど、それによって「余白」を潰してしまうんじゃないかって。

DFEXlWqVwAEIFJF Haru TP(2017年)| TPスカイのカスタマイズ版として導入された、さくらインターネットのコーポレートフォントも有馬さんが手がけた。主要な欧文と数字を日本デザインセンターが制作しており、当時の有馬さんは「桜が咲く季節である『Haru』という名前を提案しました。Haru TPの欧文はサンセリフ書体を基本としながら、緩急のついた日本的なシルエットを目指しています」とコメント

※22 『機動警察パトレイバー』・・・近未来の東京を舞台に、建設・土木用ロボット「レイバー」が普及した社会での警察機動隊の活躍を描いたSF作品。ゆうきまさみを筆頭とするクリエイター集団・HEADGEARによる漫画を起点にTVアニメ・劇場版が制作され、劇場版2作目(1993年)は押井守が監督を務めた

「勘違い」という変数──完成させないデザインの思想

竹林

お話を伺っていると、有馬さんはもちろんですが、NDCという会社そのものにも、社員の自律性を尊重する「余白」があるんだろうなと感じます。さくらインターネットも「やりたいことをできるに変える」を企業理念にしていて、その中でも「変化・成長・余白」はすごく大事なキーワードなんです。そういう考え方を象徴する場所としてつくったのが、本社兼イノベーション共創施設「Blooming Camp」で、コンセプトもあえて「完成させないデザイン」にしています。

有馬

わかります。実は今日の対談にあたって、「この(今話している)エリアを占有します」と社内のSlackでは通達してあったんですが、「出入りは自由です」とも書いておいたんです。ちょっと矛盾した言い方だったなと反省してますけど(笑)。でも、そのへんが阿吽の呼吸というか、うまく機能してくれる会社なんですよね。しかもこのエリアって、相当貴重な蔵書があるにも拘らず飲食禁止じゃないんですよ。このユルさというか、許された空間って大事だよなと常々思っていて。いい新陳代謝がちゃんと発生する場所。「Blooming Camp」もそういうことですよね?

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竹林

ええ、そこはかなり意識しました。僕たちが学生時代だった頃の温度感って、個人への依存性が高い上に再現性が低い部分もあったじゃないですか。グラフィックデザインや建築の巨匠がつくったものを、「ありがとうございます!」と頂戴していた時代から、「みんなで一緒につくろうぜ」という風に舵を切ったほうがおもしろいんじゃないかって。AI以降の均質化という観点では、その流れもいずれグルッと一周する気もしてるんですけどね。

有馬

最近よく考えることがあって、やっぱり僕もモダンデザインに衝撃を受けて、「デザインっていいな」って思った人間なので、1つの母型がきちんと生き物のように変化・成長していってほしいなと。ただ、20世紀にデザインを生業としていた人たちって、おそらく制御可能なプレパラートの上で考えることができた気がするんですよ。印刷物はこうで、ポスターはこうで、こういう風に使われて、たとえばヨーロッパだったら劇場とかスタジアムとか⋯⋯最終的なアウトプットのイメージが現代よりも明快だった。

ですから、今の世の中の「非対称」ぶりと言いますか。「デザインのユースケースを全部ちゃんと想像してVIを作ってます」みたいな言説って、大嘘だと思う。⋯⋯ちょっと強い言葉を使っちゃいましたけど(笑)、まったく想像すらできない使い方をされたときに、じゃあ「どういう風に見えるのか」っていう耐久力をもっとみんなが真剣に考えてもいいんじゃないかと。極論、勘違いされて使われてこそ本望みたいな。

竹林

それ、めっちゃおもしろい発想だと思います。もうちょっと突っ込んで聞きたいんですけど、あえて「勘違い」を誘発するとか、使い方を多様化させるような余白のあるデザインというのもあるんでしょうか。もしくは「自分はこうだ」っていう確固たる想いがあるのに、それが意図と違う使われ方をされるっていう裏切りこそがおもしろいのか⋯⋯有馬さんはどっちだと思われますか?

有馬

僕はそれを、「かわいい」「カッコいい」とかと同じレベルの変数にできると考えてます。勘違いのさせやすさ、させにくさみたいな側面もあると思っていて、それが何かって言うと、勘違いって「文化」を生むんですよ。だからカルチュラルな側面で発展性を持たせたいんだったら、もしかしたらあえて読みにくくするとか⋯⋯そういうことをやってみてもいいのかもしれない。

そうそう、初めてマルイのロゴ(〇I〇I)を見たときって、一発で読めました? あれって僕、豊かさの極限だと思っていて。あの字面で「マルイ」って読んでくださいと言い切ってしまうのは、今の世の中だと不可能な気がする。というか、業界慣習としてもNGを食らうはず。いや、今マルイさんのことすごくリスペクトを持って喋ってますよ(笑)。

僕はあのロゴをきっかけに生まれた文化圏があると思っていて、マルイさんはあれでもしかしたら何らかの「自由」を手に入れたのかもしれない。そしてそれは「勘違い」なのか、あるいは何かの広告キャンペーンで使いやすい図形に還元することができたとか、空間の中に「0101」って書いていけばマルイと認識してもらえる⋯⋯みたいな、そういう羽ばたきを手に入れたんじゃないかとか。だから極端な話、「勘違いをしてもらうことを許す」っていうことまで考えてデザインをしてもいいのかもしれない。

竹林

「勘違い」ってあまりポジティブな意味で使われないので、とてもいい思想だと思います。僕の場合はわりと「違和感」って言葉をよく使っていて、マルイのケースでいうと僕にとっては違和感なんですよね。だって、明らかに変じゃないですか。でも僕も近しいことをやっていて、「Blooming Camp」のロゴって、欧文の縦組なんですよ。本来こんなことしたらダメだし、僕は昔モリサワにいた人間なんで心苦しいんですが、たぶん10個くらいルール違反を犯している(笑)。

このロゴの背景を話すとき、よくモーニング娘。の「LOVEマシーン」(※23)を引き合いに出すんです。あのサビの《Wow Wow Wow Wow》って、初めて聴いたときめっちゃ気持ち悪かったと思うんですよ。でも、気づいたら日本中が《Wow Wow Wow Wow》って歌い出して。あの歌も一緒で、最初違和感があったもののほうが耳に残って、逆に最初から気持ちいいと感じたものってすぐに忘れ去られてしまう。それに、違和感があるものでも自分の口でちゃんと説明できれば、そこに物語も生まれる。そういうデザインと設計をしていけたらおもしろいなと思っています。

202412-bloomingcamp6-1340x893 開所時の「Blooming Camp」のエントランス(2024年)

有馬

今の話を聞いていてすごく素敵だなって思ったのは、イヤらしくない「シェイクハンド」がある。これってやりすぎると相手を突き放しちゃうし、優しくないんです。ちゃんとこっちを向いている上での違和感なんですよね。しかもよく見たら細かい部分までケアされていて、なんか違和感はあるけど約束を違えてないと言いますか。

※23 「LOVEマシーン」・・・1999年9月リリースのモーニング娘。通算8枚目のシングル。つんく♂が作詞・作曲を手がけたアップテンポのポップチューンで、オリコン週間シングルランキング1位を獲得。同年の日本レコード大賞を受賞し、売上は160万枚を超えた。バブル期を彷彿とさせる華やかなサウンドと歌詞が特徴で、1990年代末を象徴するヒット曲のひとつに数えられる

ロール(役割)よりも先に、欲望を開く

竹林

個人と企業の「やりたい」が社会にクリエイティブとして実装されるには、どんなプロセスを通るのでしょうか。有馬さんはその境界線が曖昧でごちゃっとしているほどやり甲斐を感じる⋯⋯といった趣旨のことを書かれていますよね。

有馬

とはいっても、ある程度要件が決まっているタイプの依頼もあるわけです。たとえば、作家さんがこういう作品で、担当編集者がこう考えているから、こういうデザインをしてほしい――みたいな。そういう意味で、この10年くらい僕のところに来るお仕事って、もうちょっとこう⋯⋯漠然とした状態のものが多いのかもしれません。それはどっちが良い/悪いとかでもなくて、ただ「活かしきれるスキルが多い/少ない」みたいなことがあるような気がしています。

自分的な理想で言うと、「グッドスマイルカンパニー」というフィギュアの会社さんがあって、ミーティングで呼ばれてオフィスに行ったら、もうおもちゃ箱をひっくり返したような社長室があるわけですよ。ソファーにレッドブルが置いてあるわ、ゲーム機があるわみたいな(笑)。当時の社長だった安藝(※24)さんの部屋なんですけど。ケータリングを囲んで、みんなでハンバーガーとか食べながら、2時間ほどずっと企画の話を聞かせていただいたんですけど、「お前、何をしろ」とか一切言われないんですよ。「これはこうで、こういうこと考えていて、こういうおもしろさがあるんだ」という話がずっと続いて、最後に役員の方がくるっとこちらを向いて、「有馬くんに何をお願いしたらいいと思う?」って。

竹林

「何をやりたいか」、つまり欲望そのものを問うているわけですよね。

有馬

そのときもう、「これだ!」みたいな衝撃を受けました(笑)。「君が何をやりたいのか、君自身が考えろよ」と。なんつうカッコよさだ! と思いましたね。一度「欲望を開いてもらう」みたいなことがすごく大事だなとは常々思っていたし、Webのコーディングをお願いしている友達や一緒にやっている仲間にも、「今日の時点で何に興味ある?」って聞くのは、本当に大事なんだなとあらためて思った体験でした。目の前にいるその人をロール(役割)で判断しないというか。

竹林

これからは、そういう傾向がどんどん強くなっていくイメージですか?

有馬

世の中が複雑になるっていうのはどういうことかって言うと、「人間を使い切る」ということだと思っているんですよ。人間のスキルを使い切ると。だからこの人はデザインをする人、みたいな区分けで判断しても、休日はヨーヨーの世界的プロだったりする。うちの会社にも昼間はコピーライターで、自分のシグネチャーモデルがいくつもある世界的なヨーヨーのプロ選手がいるんですね。職能で人を規定してコミュニケーションするのはたしかにわかりやすいんですけど、一度逆さにして(その人を)振ってみたくなりません?「あ、なんか出てきた」みたいな(笑)。

それはお客さんに対しても同じで、展示会のデザインをしたいというお話をいただいたとき、打ち合わせの場で「ホントのところを話し合いませんか?」って聞く時があるんですよ。別にウソついてるとかじゃなくて、本当は「展覧会を通じてこういうことができるんだ、と自分たちが言いたいんですよね」という想いを引き出したい。自分たちが何を出せるか、何を明け渡せるか、それをちゃんと並べられるといいなと思っていて。ただ、物事や組織が複雑になればなるほどそれは大変です。「この人に何をどこまで要求したらいいんだろう」という線引きが非常に難しくなってくるから、そういうときに外部の力⋯⋯コンサルテーションや整理をしてくれる人が必要になってくるのかもしれないな、という気はします。

竹林

聞いていて思ったのが、それってクライアントワークだけの話じゃなくて、社内調整でも同じだなということです。社長室にいると、田中(邦裕。さくらインターネット代表取締役社長)をはじめ、いろんな要望が飛んでくるんですけど、その言葉をそのまま受け取るんじゃなくて、「本当に必要なのは何か」を要求分析するのがすごく大事で。僕、よく「カレー食べたいって言われたら麻婆丼を持っていく」っていう話をするんですよ。辛くてご飯に合うものが欲しいなら、カレーじゃなくて麻婆丼かもしれない⋯⋯って。

しかもこれは、要求を出してくる相手に対してだけじゃなくて、一緒に仕事をしているパートナーとの関係でも同じだと思っていて。こちらが発注する側であっても、「本当にその人がやるべきことは何か」とか、「この人は別の球を投げたほうが生きるんじゃないか」と考えることがあるんですよ。たとえば、UI/UXが得意なWebデザイナーさんに、あえて紙の制作物をお願いすると、紙面の中だけで完結しないというか、その先のユーザー体験まで含めて設計してくれたりするんです。有馬さんがおっしゃる、ロールの外にあるものを引き出す感覚と、根っこの部分でかなり近い気がしました。

ちなみに、有馬さんのお話の中で「仲間」「チーム」という言葉が出てきますけど、具体的にはどういうチームなんですか? ずっと同じメンバーでやっているんでしょうか。

有馬

研究室には今3人いて、2人は社員ではなく学生スタッフです。2人とも東大の大学院生で建築学科なんですけど、グラフィックやアニメ・漫画・ゲームが好きという属性の人がいて。片方は「有馬さんのところに働き口はないか」と声をかけてもらった。もう一人は彼の友達で、こちらからスカウトした感じです。そういう固定メンバーとは、湿度高めにコミュニケーションしながらやっていますね。

それとは別に、他の会社に就職していたりフリーランスで活動していたりする人たちとのつながりもずっとあって、そういう人たちと何度も仕事をします。10年くらい一緒にやっているエンジニアの人とか、もっと長い人もいるし、「エディトリアルならこの人じゃなきゃ」みたいなのが積もり積もって、プロジェクトごとにDiscord(※25)のサーバーが立ち上がって、気づいたら「またお前も呼ばれたんかい!」みたいな。僕がいないボイスチャンネルで僕の悪口が展開されていたりして、それは非常に良いと思っています(笑)。

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竹林

やっぱりDiscordって、クリエイターさんたちにとってコミュニケーションが取りやすいツールなんですね。

有馬

ボイスコミュニケーションがしやすいんですよね。Slackのハドルミーティングより障壁が低いというか、「ここ押したら通話できるよ」って書いてあるだけで気楽さが生まれる。UIの話をしだすと終わらなくなるのでそこはひとまず置いておいて(笑)。でも、「そのうちまたお願いしたい」という感じでユルくつながっておくと、「有馬は最近忙しそうだから、そろそろ連絡来ると思ってたよ」って言ってくれる人もいたりして⋯⋯ありがたいですよね。

竹林

いわゆる「リーダー」と「フォロワー」が入れ替わる瞬間もあるんですか? 有馬さんが誰かのフォロワーになる案件とか。

有馬

全然ありますよ! プロジェクトの内容によって変わりますよね。「印刷物まわりは俺が主導するよ」と言ってくれる友人がいたり、「有馬忙しそうだから今回は俺が見るよ」ってなるときもあれば、逆もしかりで。力関係というかレポートラインは、互いにできる限りオープンに伝え合う。それは「ルール」というよりも、「その方がいいよね」っていう暗黙の了解です。みんな独立してやっていける地肩があるから、ちゃんと開示できるところは開示して、「これは質問です」「これはネクストアクションです」ということを明確にしながら進めていって。で、定期的に「あいつの仕事の仕方いいよね、俺らもパクろう」みたいなことをやって、仲間内でインプルーブメントしている感じはありますよね。全員が「俺がリーダー」くらいの感覚でいるのがちょうどいいんだろうな、と。

竹林

今の若い世代はそういう動き方が自然にできる人が増えている気がしていて。昔はもっとトップダウンな雰囲気でしたよね。これって時代の変化でしょうか。それともツールの影響ですかね。

有馬

両方あると思います。20代の友人たちの話を聞いていると、ミュージックビデオのプロジェクトでも監督はいるんですけど、みんな有機的に動いていて、「こうじゃない?」「お前これやった方がいいんじゃない?」って、やらなきゃいけないことをやりながら互いに手伝い合っている、という感じがある。

それってDiscordが生んだカルチャーなのかもしれないし、YouTubeやSNSで「協業した方が良い結果が出やすい」「クレジットされると気持ちいい」ということが可視化された文化圏で育ってきた⋯⋯ということもあると思っています。お互いを助けるインセンティブが良い意味で働いているんですよね。ただ、純粋に時代の変化だけとも言い切れなくて、やっぱり「子どもが2人いたら難しい」とか、可処分時間やバッファの問題もある。そういう現実的な制約はあると思います。

竹林

ありがとうございます。めちゃくちゃおもしろい気付きでした。と同時に、改めてDiscordちゃんと使ってみようと思いました(笑)。

有馬

終了したプロジェクトでも、結局は雑談部屋が一番楽しいんですよね(笑)。去年クローズしたプロジェクトのサーバーで、「喫煙所」という名前のチャットだけが未だに生き続けていて、もう完全にメンバーのたまり場になっている⋯⋯みたいな。

※24 安藝 貴範(あき たかのり)・・・コナミ等を経て、2001年にグッドスマイルカンパニーを設立。「ねんどろいど」を発案し、2008年発売の「ねんどろいど 初音ミク」が累計12万個を超える大ヒットとなったほか、「figma」など数々のヒット商品を世に送り出した、フィギュア業界の立役者。2024年より代表取締役会長に就任

※25 Discord・・・Discordはゲームコミュニティを中心に普及したコミュニケーションツール。テキストチャット・音声通話・画面共有などをプロジェクトごとの「サーバー」と呼ばれる独立した空間で管理でき、話題別に「チャンネル」を細かく分けられるのが特徴。近年はクリエイターやフリーランスの業務連絡や制作進行にも広く活用されている

コンピューターで、人は優しくなれるか

竹林

有馬さんは、ご自身の研究室が立ち上がった今でも自分で手を動かし続けているじゃないですか。古き良きデザイナーの巨匠の場合は、プロジェクト全体を俯瞰する立場に回って、手を動かさなくなる人も少なくない。

それって前回の『欲望ハンタージャーナル』に出ていただいた中村勇吾さんにも通じるものがあって、勇吾さんはCEO(最高経営責任者)とか、CTO(最高技術責任者)になっていくよりも、生涯現役のプレイヤーでいたい⋯というようなことを語ってくれました。有馬さんは、今でも最前線で手を動かし続ける理由って何だと考えていますか?

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有馬

たぶん2つ理由があって、1つは出自がコンピューティングなんで(笑)。僕が1日中スライド資料だけ触っている⋯⋯みたいなのは人生の意味がない。新しいデザインツールのPencil(※26)やPlay(※27)だって触りたいし、コンピューターを触りたくてこの仕事やってますから、生きるモチベーションを失うわけにはいかないというのはありますね。もう1つが、アニメ・漫画・ゲームの業界にいると実感するんですが、「作画監督」って一番絵が上手い人がなるんですよ。宮崎駿さんが未だに絵を描くのをやめていないのは、自分の絵の説得力が一番あるから。それを、「システム化されていない古い業態だ」って一蹴することもできるんでしょう。でも、現実問題として人は誰の言うことを聞くのか。ブラフやひらめきじゃなくって、経験則で言ってるんだなとわかれば、人はついて行くんですよね。

ちょっとペン借りてもいいですか? 昨日LPレコードのデザインをしてたんですけど、著作権表記に「℗」(Pマーク。原盤権のこと)があるじゃないですか。あれって音楽業界特有の記号で、通常のフォントに入ってない文字なんですよ。だから自分でデザインに合わせてつくるわけです。で、世の中にないんだったら自分がつくりたいじゃないですか。これをアシスタントに指示してやってもらうのは簡単かもしれませんが、こんなに楽しいことを人に奪われたくないという葛藤もある。ある意味それは、僕が上司として失格だとか色んな変数がありますけど(笑)。

trim IMG 1465 ©Masatoyo Takebayashi

竹林

いいですね、すごく納得のできる理由でした(笑)。好きだからやる、「やりたい」からやる、というのは原始的でありながらクリエイターとしてもっとも大事な欲望だと感じます。では最後に、有馬さんにとっての「夢」を聞いてもいいですか?

有馬

これは別にエモい夢とかじゃなくて、自分の人生が終わるまでに絶対に叶わないと思っている夢が1つくらいあったほうがいいと思っているんです。PlayStationの生みの親である久夛良木健(くたらぎけん)さんって憶えてますか? 彼が2005年に登壇したPS3のスピーチがもうヤバくて。PS3にはCellプロセッサーが入ってるじゃないですか。正式名称を「Cell Broadband Engine」(※28)って言うんですが⋯⋯カッコいいですよねぇ(笑)。

久夛良木さんは、Cellを「ピアツーピア(※29)ネットワークを軸に別の世界を生み出すため」と言い切ったんです。Cellをつないだら1つの巨大なコンピュータができるんだと。それができれば宇宙人の痕跡を捕まえられるし、癌細胞は特定できるし、未知の病気にも対処できるんだって。そうか、インターネットって地方分権じゃなくてピアツーピアのメッシュネットワークで、誰かのコンピューティングパワーをそういう風にパススルー(素通し)することができれば、この世はもっと素晴らしいことになるんだ! ってめちゃくちゃ感動しまして。で、僕その時代の到来を20年待っているんですけど、まだ来ないんですよ。

竹林

たしか、僕も雑誌『BRUTUS』(※30)のプレステ特集(2009年の「プレステのトリセツ」)でそれについて読んだ記憶があります。「そりゃあ、この概念を語れるんだったら1冊つくれるよね」って。一般的な読者はこの尖った特集をどう思ったんやろって感じつつも、めちゃくちゃ衝撃を受けた。とはいえ、有馬さんが20年前に夢みていた未来って、部分的には実現している分野もありますよね?

有馬

そうですね。AirTagのUWB(Ultra-Wide Band:超広帯域無線)なんてそれの応用ですし、「人の優しさ」というか、性善説をもとにつくられたデバイスだったりする。話を戻すと、僕の具体的な夢は至ってシンプルで、優しい世界を見たいんです。人がもうちょっとだけ不便さを受け入れたり、優しくなれたりしたら、とんでもないことがネットワークで起きるんじゃないか? というある種の好奇心ですね。

たとえば、「みなさん、回線がこのあと少し不安定になります!」みたいな通知が届いて、「なんだろ?」ってスマホを開いたら、「ああ、誰かのでっかい問題が解決したんだ。よかったね」て思える世界のほうが素敵じゃないですか。山手線が人身事故で遅れて「チッ、誰だよ…」とSNSで罵るだけの世界に僕は住みたくない。

竹林

ありがとうございます。今日のお話をさせていただいて、「優しい世界」って、ふわっとした理想じゃなくて、ちゃんとデザイン、つまり設計できるものかもしれないと思いました。しかもその起点は、誰かのために無理して何かをすることじゃなくて、自分の中にある欲望をちゃんと開いていくことにある。有馬さんの話を聞いていると、その順番がすごく腑に落ちました。

有馬

それってとても倫理的な話だし、漠然とした話かもしれません。でも、もうちょっと「コンピューターで人が優しくなれる世界を見てみたいな」っていう期待を込めつつ、今もデザインを続けています。空海の「自利こそが利他の土壌である」じゃないけど、結局は自分の中に内在する欲望でしか、他人を幸せにはできないんじゃないかって思うんです。

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※26 Pencil・・・VSCodeやCursorなどのIDE(統合開発環境)に直接統合できるAIネイティブなデザインツール。「Design on canvas. Land in code.」をコンセプトに掲げ、キャンバス上でデザインしながらそのままコードへ変換できる。デザインと実装の工程を一体化させる新しいアプローチとして、エンジニアを中心に急速に普及しつつある新興ツール

※27 Play・・・iPhoneおよびMac向けのiOSネイティブデザイン&プロトタイピングツール。SwiftUIと同じ仕組みで構築されており、特別な設定なしにネイティブiOSアプリと同じ操作感のプロトタイプを作成できる。デザインからSwiftUIコードの自動生成にも対応。2025年にApple Design Award for Innovationを受賞した

※28 Cell Broadband Engine・・・ソニー、東芝、IBMが共同開発した高性能CPU。1つの汎用コア(PPE)と8つの浮動小数点演算コア(SPE)を搭載したマルチコア構造が特徴で、PS3のゲーム処理や画像処理を高速に行う頭脳として採用された

※29 ピアツーピア(P2P)・・・中央サーバーを介さず、パソコンやスマホなどの端末同士が直接接続し、データや情報をやり取りする分散型の通信方式。ファイル共有ソフト、暗号資産(ビットコイン)、SkypeなどのIP電話などで活用され、負荷分散や低コスト運用に優れる一方、セキュリティリスクや管理の難しさも特徴

※30 BRUTUS(ブルータス)・・・マガジンハウスが発行する隔週刊(毎月1日・15日)のポップカルチャー総合誌。1980年の創刊以来、ファッション、アート、食、旅、建築など幅広いテーマを独自の視点で特集し、知的好奇心の高い大人を中心に人気を集めている

欲望ハンター竹林の編集後記

第4回の『欲望ハンタージャーナル』は、日本デザインセンターの有馬トモユキさん。さくらインターネットのロゴやVIも手がけていただいた方で、今回は改めてお話を伺いにいきました。

付き合いはもう10年近く前からで、大阪の立ち飲み屋で串カツを一緒につまんだこともあります。その頃からずっと、どんな幼少期を過ごし、何を学び、何に影響を受け、どんなものをつくってきたら、こんな楽しい仕上がりになるんだろうと気になっていて、いつか深い話をしたいと思っていました。今回は、ようやくそれが叶った感じです。

ただ、有馬さんについては、「有馬デザイン研究室」を立ち上げられたタイミングということもあり、ちょうど『アイデア』412号でめちゃくちゃ詳しく、素晴らしい特集が出ています。ということで、経歴や全体像を知りたい方は、まずそちらを読むのがおすすめです(笑)。その上で今回の対談では、「90年代後半の衝撃」「探り続ける研究」「埋めない余白」「あえて(アンチ)」「優しい世界」といった、有馬さんの頭の中を動かしているプロトコルみたいな部分に、ゆるーく深く触れられた気がしています。

気づけば本文は1万字超え、注釈も30超え。今さらですが、ぼくの後記を読む時間があったら、ぜひ本文を読み返すか、気になった注釈からディグって、サーフィンしてみてください。有馬さんの頭の中や、あの頃の時代にダイブできるはずです。


Interview:Masatoyo Takebayashi (SAKURA internet Inc.)
Edit:Kohei Ueno
Photo:Kodai Nagata
Direction:Satoru Kabuyama (Konel Inc.)

有馬 トモユキ

有馬 トモユキ

日本デザインセンター オンスクリーン制作本部|クリエイティブディレクター

1985年生まれ。コンピューティングとタイポグラフィ、物語をキーワードに複数の領域を横断するデザインを行う。2025年、日本デザインセンター内に「有馬デザイン研究室」を設立。アニメ・ゲームの世界観設計からVI計画、空間演出まで、仮説と試作を軸に領域横断的な研究と実践を続ける。武蔵野美術大学・基礎デザイン学科非常勤講師、ZEN大学・客員教授。著書に『いいデザイナーは、見ためのよさから考えない』(星海社)、編著に『デザインの入口と出口』(グラフィック社)がある。2026年1月発売のデザイン誌『アイデア』412号にて表紙・巻頭特集を担当。

竹林 正豊

竹林 正豊

さくらインターネット株式会社 社長室 室長

さくらインターネット株式会社 社長室 室長。ファッション誌の編集者、PR会社にてプランナー/クリエイティブディレクターを経て、2017年にさくらインターネット入社。第一期うめきた本社移転プロジェクトや、経済産業省の委託事業である衛星データプラットフォーム「Tellus」のPR責任者などを歴任し、現職。大阪芸術大学 芸術学部建築学科卒業。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修了。

Blooming Camp

さくらインターネットが運営するオープンイノベーションのための施設。2024年9月に大阪にて開所。オンラインとリアルの双方から人々がつながり、チャレンジが生まれる場を目指している。年間数百件のイベント開催に加え、アクセラレーションプログラムや会員制度も提供。

さくらインターネットが運営するオープンイノベーションのための施設。2024年9月に大阪にて開所。オンラインとリアルの双方から人々がつながり、チャレンジが生まれる場を目指している。年間数百件のイベント開催に加え、アクセラレーションプログラムや会員制度も提供。

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