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2026.02.27

インタビュー | 中村 勇吾×竹林 正豊

AI時代に、それでも手を動かす理由。中村勇吾と探る「やりたい」の正体 ―【欲望ハンタージャーナル】 #03

さくらインターネット 株式会社, Blooming Camp

kv yokubou Hunter-Journal vol3 260203

「『やりたいこと』を『できる』に変える」を企業理念に掲げるさくらインターネットは、これまでにITインフラの第一人者として多くの企業や教育の現場にコミットしてきた。そしてこの度、さくらインターネット社長室とコネル/知財図鑑の取り組みとして、来たる2030年に向けたスローガン「やりたいが増えちゃう世界へ」を制定。情熱を燃やし、他者を巻き込み、熱量の高い「やりたい」がインターネットのように広がっていく――そんな世界像を模索すべくスタートしたのが『欲望ハンタージャーナル』である。

第3回目のゲストは、インターフェースデザイナー/映像ディレクターとして世界に驚きを与えてきた中村勇吾さん。2004年にデザインスタジオ「tha ltd.」を設立し、Flash全盛期の実験的なWeb表現から、ユニクロの一連のWebディレクション、NHK Eテレの人気番組『デザインあ』および『デザインあneo』の映像監修、コーネリアスやMETAFIVEらのミュージックビデオ制作、さらにはゲーム作品に至るまで、常に時代の最先端で心が動く/時代を動かす体験を生み出してきた、日本を代表するクリエイターのひとりだ。

テクノロジーとAIの進化により、加速度的に「できること」が増えていく時代において、それでもなお手を動かしたくなる「欲望」の源泉とは? 今回も、さくらインターネット社長室・室長の竹林正豊さんが聞き手を務め、中村さんの過去・現在・未来を深堀りしていく。

中村勇吾を夢中にさせたコンピューターと、「画面の奥」にある世界

竹林

はじめまして。と言いつつ、15年以上前の話になるんですが、実は中村さんとは一度お会いしたことがあって。モリサワの『MORISAWA Fontpark 2.0』(2008年)を担当されていたじゃないですか? あの頃、ちょうど僕もモリサワにいて、グラフィック・デザイナーの廣村正彰さんが手がけたモリサワ本社移転のプロジェクトチームにいたんです。

中村

そうだったんですか! 懐かしいですね。あのプロジェクトでは、社長室長の森澤武士さん(現・常務取締役)にお世話になりました。今でも憶えているんですが、森澤さんに「本物のサンタクロースに会いたくないか?」と言われて、フィンランドが認定する公式のサンタさんを事務所に招いたんですよ。ちょっと「本物感」が強すぎて、どうもてなしたらいいのかわからなかった(笑)。

fontpark MORISAWA Fontpark 2.0 | フォントメーカーのモリサワによる、「文字」をテーマにしたウェブサイト。モリサワのフォントデータを分解、再構築することで、ユーザーが自由にタイポグラフィをつくり、投稿できる新しいインターフェースを提案した。

竹林

まさに、森澤室長直下のチームにいました! その流れで、勇吾さんと廣村さんがW受賞された毎日デザイン賞を祝う会もお手伝いさせていただきまして。授賞式で使った餅つきのお餅を発注したのは僕です(笑)。あ、クセで「勇吾さん」と言っちゃってますが、勇吾さんと呼ばせていただいていいですか?

中村

もちろんです。あの授賞式、最悪に酔っ払っていた記憶がありますね(笑)。受賞の挨拶でもすごい変なこと言ってた気がするし、人生の中でもだいぶ調子こいていた時期かもしれない。

竹林

(笑)。今日はこのようなカタチで再会できて光栄です。言うまでもなく勇吾さんの活動ってものすごく多岐に渡ると思うんですが、あらためてご自身の今の肩書を一言でいうと、どのように表現されていますか?

中村

最近は「インターフェースデザイナー」と名乗ることが多いです。具体的に何をやっているのかというと、オンスクリーンメディアのデザイン。それが映像だったり、Webやアプリの文脈だったり、テレビ番組や展示だったりするわけですけど、基本的には画面上で何やかんや表現することを生業としていますね。

DSC07163 中村勇吾 | tha ltd. 代表/インターフェースデザイナー/映像ディレクター/多摩美術大学教授

竹林

「インターフェース」は、異なるもの同士をつなぐ接点だと思っています。ただ、この言葉は汎用性が高く、使われる文脈も広いため、受け取り手によって指している範囲が揺れやすいとも感じます。広義・狭義どちらでも構いませんので、勇吾さんがイメージする「インターフェース」について、ぜひ聞かせてください。

中村

なんとなく「水面」のようなイメージがあって。上が空気で、下が水…みたいな。違う性質なんだけど、それぞれが接し合っている。たとえば、水面がこう揺れるとするじゃないですか。それが空気の都合で揺れる場合もあるし、水の都合で揺れる場合もある。そういう全然異なる2つの都合の「境界」といいますか。これをコンピューターのインターフェースに置き換えると、コンピューター的な都合の世界と、人間的な都合の世界がどう接したらええんやろ? みたいな。大まかにはそういうイメージですかね。

竹林

なるほど、点で接している=触れているというより、面で接している=くっていている、つまり境界のようなイメージですね。「空気側」と「水側」の両方があるとき、勇吾さんはそのどちら側にいるのでしょう? もしくは、両側が俯瞰で見えているからこそ、水面の動きを捉えられているのでしょうか。

中村

水をコンピューター側とすると、僕はコンピューター側に寄りがちです。いわゆるUIデザインの観点とかは抜きに、基本的にコンピューターが好きなんですよ。小学生のときにNECの「PC-8001」というマイコン(※1)に出会ってのめり込んで以来、ずっとそうですね。コンピューターが持つ「素材」の魅力みたいなものを感じてほしいのかも。それって人間側の都合に寄ると、扱いやすいWebサイトやアプリケーションになると思うし、もちろんそういう仕事もやります。ただ、どちらかというと「コンピューターって面白いよね」「アルゴリズム楽しいよね」といったことが感じられる表現にしたくて。あまりにも余計なことをやりすぎて、よく「使いにくい」って言われますけど(笑)。

※1・・・1979年にNECから発売。当時は「巨大な組織のものではなく、自分自身のコンピュータ」という意味合いを込めてパソコンではなくマイコンと呼ばれていた。

DSC07184 竹林 正豊|さくらインターネット株式会社 社長室 室長

竹林

まずコンピューターが「水」として表現のベースにあって、その上の「空気」の部分は、当初はFlashを使ったWebのインタラクティブ表現から始まり、やがてPost-Flash以降のデジタルデザイン(UI/UXや体験設計)へ広がっていった。さらにCMやMVなどの映像、テレビ番組制作や体験型コンテンツ、空間演出と、スクリーンの外も含めて領域を横断し、最近ではゲーム制作へも展開していると。では、そうしたクリエイティブ活動の原点になったモノ・コトは何だったのでしょうか?

中村

うろ覚えですが、ファミコン(1983年)の衝撃が大きかったと思います。それまでテレビといえば、どこからともなくこの箱に映像がやってきて、番組が放送されている…言わばアンタッチャブルな存在だった。それがファミコンのケーブルをつなぐと、さっきまで松田聖子が歌っていたこの画面が動かせるじゃん! みたいな。いま思えば、あれがインターフェース的なものを初めて意識した瞬間かもしれません。そのダメ押しがインターネットだった。どこからともなく文字や情報がやってきて、もはやただの画面ではなく「画面の向こう」に何かあるぞって。ですから、画面の奥の世界っていうか、そこで感じるものが日々変わっていくのが一番楽しかったんでしょうね。それが、コンピューターだった。

竹林

ありがとうございます。ただ、80年代当時って、どの家庭にでもコンピューター、つまりパソコンがある時代ではなかったですよね?

中村

そうですね。昔は『マイコンBASICマガジン』(※2)という雑誌が情報源でしたから、それを読んで「ミドリ電化」(※3)に通うのが日課でした。町で一番大きな電気屋さんだと、ギリギリ最新モデルが展示されているんですよ。大体スクリーンセーバーみたいなデモが流れていたので、店員さんの目を盗んで画面をクイッと自分に向けて、カタカタカタカタ…って文字を打ち込んで遊んでいました。「ミドリ電化」が、当時の僕にとってのシリコンバレーみたいな(笑)。

※2・・・1980年代から2000年代にかけて電波新聞社から発行されていたパソコン雑誌。「ベーマガ」の愛称で親しまれ、読者が投稿したBASIC言語などのプログラムリストを多数掲載。ゲームセンターの攻略情報や電子工作の記事も充実しており、当時のPC少年のバイブル的存在だった。

※3・・・「やってみます、ミドリ!」のCMで知られる、兵庫県尼崎市に本社を置いていた家電量販店。近畿地方を中心に展開し、親しみやすい地域密着型の店舗運営で絶大な人気を誇る。2005年にエディオン傘下となり、後にブランド名も「エディオン」へ統合。

「やりたい」の向こう側にある、「勝手にやっちゃう」感

竹林

大学卒業後は橋梁設計会社に就職されていますが、橋は設計から完成までのスパンが長すぎることに葛藤があったとお聞きしました。そこからWebの世界に進んだきっかけは何だったのでしょうか。

中村

橋梁の仕事をしている傍ら、プログラマーとして創作活動をしていたんです。ちょうどインタラクティブな実験が流行りはじめた頃で、ブラウザ上で作品を見せ合うコミュニティが活発だった。そこで誰よりも早くいいものを作って、「どうや、すごいやろ?」って発表することにハマっていたんですよね。すると、いつの間にかコミュニティ内でチャンピオンに近いポジションになりまして。その情報が広告代理店の耳が早い人にキャッチされて(笑)、次々と仕事の相談が来るようになった。本業があるから、最初は断っていたんですけどね。でも、「意外とできるんじゃね?」と考えるようになり、一念発起して会社を辞めました。

ecotonoha tha ltd.初期の作品「ecotonoha(エコトノハ)」は、NECの企業広告と環境活動を連動させたブランド体験コンテンツ。ユーザーの投稿メッセージがひとつひとつの葉となり、一本の樹木が成長。その投稿分だけ、オーストラリアのカンガルー島に植林された

竹林

やりたいことが仕事に結びついたのか、仕事になるかはわからないけど飛び込んでみたのか、どっちなのかな?と思っていたんですけど、お話を聞いていると両方の側面があったんですね。

中村

既に20代後半でしたし、簡単な決断ではなかったですよ。しかも結婚していたから、ちゃんと生活もできないといけない。ちょうどインターネットやWebデザインの黎明期だったので、勝算があったからこそ動けたんだと思います

竹林

僕らが運営しているイノベーション共創施設「Blooming Camp」では、スローガンの「やりたいことをできるに変える」が示すとおり、まずは「やりたい」に寄り添って、チャレンジの一歩目を応援できるコミュニティを目指しています。だから、やってみて「楽しかった」でいったん完結することもあるし、それ自体もすごく大事だと思っていて。週末のいわゆる「おやじバンド」みたいに、自分や身近な仲間の課題解決や楽しさを追求する、というもすごくいいなと思っています。

一方で、続けていくうちに「もっと上手くなりたい」「社会に届くところまで持っていきたい」って欲望も芽生えるじゃないですか。それって、イノベーションの入口でもあると思っていて。自分の「熱」が社会に届くカタチになる、その瞬間を越えるには何が必要なのか。勇吾さんはどう考えます?

bloomingcamp konel 2024年9月にオープンしたさくらインターネットの本社兼イノベーション共創施設「Blooming Camp」では、日替わりゲストとコミュニティマネージャーが店長となる「コミュニティ運営者のホンネ語りBAR」などのイベントも定期的に開催

中村

「おやじバンド」っていい表現ですね(笑)。うん、他で稼げていたら好きにやってもいいんじゃないですか? たとえば、自分がやっている趣味のレベルがどのくらいの水準にいるのかって、やればやるほど身を持ってわかってくる。音楽でいうと、一般的な「おやじバンド」のレベルなのか、「音楽的にも新しいことしてるんじゃない?」とか。やっぱり、そこで興奮度合いが変わるよなあって思いますね。その時点で自分が興奮していないと、なかなか続けられない気がする。

実は、僕も音楽を作っている最中なんです。これまでミュージシャンの方たちと一緒に、楽曲に対して映像をつくることはやってきたんですけど、それは音楽の良さを引き立たせるというアプローチだった。DTMも進化しているし、映像だけじゃなく音楽も自分で作ってみようと。それで適当に打ち込んで曲を作ってみたんですが、それこそ「おやじバンド」止まりというか、世の中に流れている楽曲とは全然違う気がするなあ…って壁にぶつかりまして。

竹林

なるほど。僕も近いことをやってるので、いきなり親近感が湧きました(笑)。何か突破口は見つかったんでしょうか?

中村

それで、コーネリアスの小山田(圭吾)さんに聞いてみたんですよ。僕が打ち込みで作った曲と、小山田さんのCDを聴き比べると、クオリティも含め何もかも違う気がするんだよねと。そしたら、「10分やそこらじゃ説明できないよ」って言われて(笑)。そこにはプロの音楽家だけのブラックボックスがあるんでしょうね。要するに、DTMに挑戦し続けてはいるんだけど、「おやじバンド」のまま終わってしまう恐怖と戦っているんです。けっこう高い機材も買っちゃったから、もう後には引けないというか、「やるしかないじゃん!」と自分を奮い立たせているんですけどね。たぶん、真似事ばっかりだと続かない。

DSC07355 対談は新宿にある「さくらインターネット東京支社」で行われた

竹林

いやあ、想像もしてなかった切り口でめっちゃ嬉しいです(笑)。勇吾さんでもクリエイティブ制作でつまずくことがあるんだなあと。そして、それを相談する相手が小山田さんというのも贅沢ですよね。あと、やはり自身の「熱」はキーワードですね。

中村

DTM挫折おじさんなんです(笑)。僕はビジュアルプログラマーとしては一応プロレベルだと自負しているし、その作業であれば永遠にカチャカチャやってられるんですよね。でも、DTMのほうは自分が作業に慣れてないというのもあるけど、「ドラマでも見ようかな〜」「『スプラトゥーン』やるか」みたいに邪念が入ってきて全然進まない(笑)。そこは自分の意思とか、モチベーションとは別次元の、もうちょっと原始的な……「勝手にやっちゃう」感が足りないというか。もちろん音楽は大好きだし、つくりたいし、「ここまで行きたい」という欲望もあるんですよ。でも、「おやじバンド」を脱却できるレベルにはまだ達してないんだろうな。

ちょっとずつ期待を裏切り続けるための「揺らぎ」

竹林

「つくり方」についてもお聞きしたいのですが、「日本デザインコミッティー」のプロフィールには、「なによりも、楽しく、美しく、興味深く、心が躍るようなデザインが好き」と書かれていました。勇吾さんが設計・デザインをされる中で、特に大事にされているエレメントとは何でしょうか?

中村

まず、何パターンかの仕事のやり方があります。ひとつはちゃんと計画を練って、「ここがこう面白い」みたいな仮説を立てて、そこに近づいていくやり方。プランニング思考というか、トップダウン的な考え方です。もうひとつは、明確なゴールは描かないで、なんとなく気になったことから手を付けてみるやり方。それを色々組み替えて、「あ、思ったよりも面白くなったな」とか、「思ったよりつまんないなあ」みたいなことを、トライ&エラーでやっていくパターンもありますよね。

やっぱり面白いのは後者です。ただ、やり直しの回数が多いから、時間もコストも無尽蔵にかかる。そればっかりホイホイやってると事務所が潰れちゃいますから(苦笑)。とはいえ、あんまり計画しないで「出たとこ勝負」がうまく成立したときは一番嬉しい。すみません、質問とはちょっとズレちゃいましたね。

DSC07167

竹林

いえいえ、納得できました。勇吾さんが作られてきたものって、すごく勇吾さんっぽさを感じるんですよね。以前お話を聞いたときも、「オーケストラの楽譜だって、弾いている人が変わったら受け取り方も違うでしょ」といったことを語られていて。それはプログラミングも一緒で、その違いにこそ「揺らぎ」が生まれる。そして、自分はプログラミングにおいてその「揺らぎ」を意識しているんだと。

中村

ちょっとずつ期待を上回り続けるとか、ちょっとずつ期待を裏切り続けるとか、ニュアンスレベルではあるけれど、そういうのが面白いし気持ちいいと思うんですよね。結局何に訴えかけているかっていうと、使ったり見たりする人の頭の中。「面白い」とか「気持ちいい」という感覚はそこで生まれているので、その人自身のイメージに対してちょっと揺さぶりをかけてあげたり、「あ、こういうことか!」って、新しい体験につなげてあげたり。「イメージの操作」というと大げさかもしれませんが、そこに対してインタラクティブな表現で働きかけたり、内容で働きかけたりする…というのがやり甲斐を感じている部分です。

あと、竹林さんが感じてくれた「僕らしさ」というのは、単にクセなのかも(笑)。性格的にすごく細かいところが気になるんで、動きのディテールとかが気になりだすと止まらないんです。何回も何十回もやり直すことで僕っぽくなっているとは思うんですけど、やりたいこととしてはやっぱり、「新しい気持ち良さ」をつくり出すことに尽きますね

竹林

冒頭のインターフェースの話とも通じますね。水面の動きに裏切りや押し引きがあるから、そこに「揺らぎ」が生まれる。前回の『欲望ハンタージャーナル』に登場いただいた前野隆司先生も、仮説を立てて検証・改善する「Vモデル型」と、仮説すら立てられないほど先が見えないときに、とにかくやってみる「デザイン思考型」、2つのイテレーション(一連の工程を短期間で繰り返す開発サイクル)を教えているんだと。先ほどの勇吾さんのお話を聞いて、前野先生の言葉を思い出していました。

中村

そこまで世の中を俯瞰してないとは思うんですけど、すごくミクロなレベルでは、そういう相似形なのかもしれないですね。

高橋幸宏さんに学んだ生涯現役の美学

竹林

さくらインターネットや「Blooming Camp」では、「共創」をテーマにしています。AとBがあったら、はみ出したところにこそ新しいイノベーションというか、イノベーションの種が生まれるんじゃないかという越境的な考え方ですね。仕事や創作において、勇吾さんが「越境」を意識されるのはどんなときですか?

中村

僕の場合、Webも映像もゲームもプログラミングありきなので、基本的に手法は一緒なんです。違うのは出力するメディアや、アウトプット。たとえばギタリストがロック・バンドとして演奏するのか、街で弾き語りをするのか、合唱団で弾くのか、あるいはオーケストラに行くのか…というレベルの違いであれば、そんなに越境はしてないと思う。ただ、それぞれの業界で必要になるスキルって全然違いますよね。その文法やつくり方の違いが面白くって、「ゲームってこんな流れやロジックで決まっていくものなのか!」とか、「ミュージシャンってこんなこと考えてるのか!」という発見もありますね。

あと、異分野の方と仕事をする中で、同業者にはない視点を持てるようになりました。IT業界のおじさんって、大体すぐに偉くなって出世するじゃないですか。CEO(最高経営責任者)とか、CTO(最高技術責任者)とか、「シーなんとかオー」って役職がついて(笑)。僕もそういうポジションにお声がけいただきましたけど、METAFIVEでご一緒した高橋幸宏さんの姿を間近で見ていたら襟を正しましたよ。70歳で亡くなる直前まで現役で、あんなに激しいドラムを叩いてらっしゃったんですから。「人生の過ごし方」みたいな意味でも、すごく影響を受けました。「越境」とまで呼べるかはわからないけど、自分たちの常識が通用しないところに行くと身が引き締まりますね。

竹林

勇吾さんの現役感覚、とても感銘を受けます。ちなみに、お仕事やプライベートではAIを使われていますか?

中村

プログラミングの際はめちゃくちゃ使ってます。最近のエディターはAIエージェントが標準搭載されていることもありますし。ただ、AIで画像や映像を生成したりというのは、今のところあまり面白みを感じていません。単純に、言葉だけのプロンプトで指示するのが面倒じゃないですか。「もうちょっと右、右!」とか、「こっち向いて」とか、スイカ割りじゃないんだから(笑)。AIと人間とのインターフェースデザインはまだ過渡期なんだと思いますね。

DSC07178

竹林

「言葉で誘導するのがもどかしい」という感覚、すごくよくわかります。僕、めちゃくちゃスイカ割りしてます(笑)。少しだけ話が飛ぶんですが、「世界はシミュレーションかもしれない」みたいな議論って、ご存知ですか?

僕はあれを聞くと、技術の話でもある一方で、「操作できてしまう世界」を人間がどう扱うのか、という問いにも感じるんです。『HUMANITY®』(※4)もそうですけど、「俯瞰して動かせてしまう」感覚って、ちょっとワクワクと怖さが同居する感じがありますよね。もし仮に、世界を「シミュレーションとして扱える」技術が現実になっていくとしたら、勇吾さんはそこにどんな怖さや面白さを感じますか?

中村

ああ、言わんとしていることは理解できます。SFは基本的に大好きだし、たとえばイーロン・マスクのような本当に実権を握っている人の中二病が暴走して、とんでもないことにならないかな…っていう願望は、いち市民として少しだけあります。でも、シリコンバレーのお偉いさんたちのSF思想なんかのニュースを見ていると「怖っ」というか、リアルではもうちょっと保守的であってくれよとも思いますね。ですから、『HUMANITY®』に現実世界をコントロールできたとしたら…といった思想は込められていないです。

※4・・・中村勇吾さんが初めて手がけたゲーム作品。プレイヤーが柴犬となり、意思も目的も失った人間たちを「光の柱」へと導くアクションパズルゲーム。「日本のアートディレクション ADC賞」にてグランプリに輝いた

パズルアクションゲーム『HUMANITY®』のトレーラー

竹林

なるほど。「面白い」はあるけど、現実の権力と結びつくと怖い。だからこそ勇吾さんは、「現実をコントロールする」みたいな思想を作品に込めたいというより、もう少し別の場所に関心があるんですね。

中村

僕がやっている領域って、もう「オールドメディア」になりつつあるのかなと感じます。インターネットの黎明期って、Webそのものが圧倒的に「ニューメディア」だったじゃないですか? そこには、新しいもの好きとコンピューター好きな僕らのような人間が混ざっていた。で、ニューメディアが好きだった人は今、みんなAIに夢中ですね。僕は正直、そこまでAIには惹かれないんです。進化がすごすぎて、逆に手応えがないというか……。それよりかは、カチャカチャとキーボードを叩いたら返ってくるリニアな関係性でつくる方が好きなんです。

竹林

ありがとうございます。AIがすごいほど、逆に「手応えのあるつくり方」を選びたくなる、というのがすごく腑に落ちました。

中村

自分でも「オールドメディアやってるなあ」と思いますよ(笑)。将来的には、壺を焼いている職人みたいに扱われるのかもしれない。でも、インターネット全盛の時代に紙媒体が「オールドメディアだ」「オワコンだ」と叫ばれましたが、結局みんな今も楽しそうに紙ベースのデザインをやってますよね。ですから、僕らの仕事のやり方も何かしらのカタチで生き残ることを願っています。

竹林

AIやテクノロジーが進化しても、手応えのあるつくり方は残っていく――。僕もそれを信じて、挑戦を続けながらクリエイティブを重ねていきます。これからも、勇吾さんの新しい壺を楽しみにしています。本日は貴重なお話をありがとうございました。

DSC07317

欲望ハンター竹林の編集後記

第3回のゲストは、レジェンド・オブ・レジェンドの中村勇吾さん。この方がいなかったら、いまのデジタルクリエイティブはかなり違っていたんじゃないか。個人的にも影響を受けまくっていますし、お笑いで言えば“松本人志以前/以後”みたいに、業界の地形そのものを変えてしまった人だと思っています。

少しズレますが、最近は文章を書くときAIを使いまくっています(アンチ気質なので、最終的には提案をほぼ消すんですが)。ただ今回は、勇吾さんの言っていた「スイカ割り」にならないように、久しぶりに全文を自分で書いてみました。乱文・散文、ご容赦ください。勇吾さんは取材記事や動画など、語りの蓄積が豊富な方なので、普段と違う角度で聞けるように編集チームと質問と構成を組み上げました。……が、当日(正確には前日から)テンションが上がりすぎて、元の質問を大きく変えたり、構成を組み替えたりしてしまいました。編集部のみなさん、すみません。

質問を変えてしまったのはいま考えると、用意された質問をベースにした予定調和のディスカッションではなく、問いが更新されていくセッションのほうがふさわしい、と感じてしまったからです(言い訳)。ただ結果的に、質問から新しい会話が生まれ、会話が次の質問を連れてくる。その場でしか立ち上がらない話に辿り着けました。グサグサグサッと刺さりまくった話ばかりでしたが、やはり特に刺さったのは、タイトルにもなっている「やりたい」の正体。まさに、この企画の根っこにある「欲望」の輪郭に触れられた気がしました。

常々思っていることがあるんですが、小学校の体育の「逆上がり」って、評価がちょっと不思議だなと。

① 最初からできて、さらに高い鉄棒でもできる人:大変よくできました
② 最初からできて、同じ高さでできる人:よくできました
③ 最初できなくて、練習してもできない人:もう少しです
④ 最初できなくて、逆上がり機でできるようになった人:大変よくできました
※小学校によって違うと思うので、竹林調べ

もちろん④は素晴らしい。努力してできるようになったのは尊いです。でも同時に、「①と④が同じ評価」になることで、④で満足してしまう人を量産してしまう構造もある気がしていて。もっと言うと、④の人が「本当の鉄棒」を見つけるチャンスを失ってしまうのが、一番もったいないなと思うんです。休み時間まで鉄棒に吸い寄せられてしまう、あの「勝手にやってしまう何か」。①の変態鉄棒人間は周りから猿とか言われながらも、たぶんそこに「自分の熱量」がある。ちなみにぼくは、①の人に頑張っても勝てないと思って逆上がりは練習しなかったし、そんな時間があれば制作したり、自分の空想の話をしてました(笑)。勇吾さんの音楽制作(DTM)の話を聞いて、小山田さんに聞いちゃうんだ!というところも驚きましたが、それより何より、勇吾さんでも「ぐるぐる回り続けられない鉄棒」があるんだ、と。そして同時に、勇吾さんにとって回り続けられる鉄棒が、インターフェースデザインであり、Webなんだろうな、と。

結論、言いたいことはひとつで、「やりたい」や「欲望」の正体は「妄想で思い描く理想」でも「努力で到達するゴール」でもなく、「勝手に身体が向いてしまう方向や遊び心」。そのために必要な「熱量」「パッション」なんだ、ということを改めて確認できた対談でした。

※お詫び:AIを使わないと言いましたが、思いっきり使いました(笑)。ぼくにとってのAIはスイカ割りではなく、自分の思いを発散と収束させてくれるスーパーな友達で、もっと言うと、もはや身体の一部になりつつあるのかもしれない。いまのぼくにとってAIは、「いちばん楽しい高い鉄棒」でもある、ということに気づきました。


Interview:Masatoyo Takebayashi (SAKURA internet Inc.)
Edit:Kohei Ueno
Photo:Kodai Nagata
Direction:Satoru Kabuyama (Konel Inc.)

中村 勇吾

中村 勇吾

tha ltd. 代表/インターフェースデザイナー/映像ディレクター/多摩美術大学教授

1970年奈良県生まれ。東京大学大学院工学系研究科修了。多摩美術大学教授。1998年よりウェブデザイン、インターフェースデザインの分野に携わる。2004年にデザインスタジオ「tha ltd.」を設立。以後、数多くのウェブサイトや映像のアートディレクション/デザイン/プログラミングの分野で横断/縦断的に活動を続けている。 主な仕事に、ビデオゲーム「HUMANITY」、ユニクロの一連のウェブディレクション、KDDIスマートフォン端末「INFOBAR」のUIデザイン、NHK教育番組『デザインあ』のディレクションなど。主な受賞に、カンヌ国際広告賞グランプリ、東京インタラクティブ・アド・アワードグランプリ、ADCグランプリ、TDCグランプリ、毎日デザイン賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞など。

竹林 正豊

竹林 正豊

さくらインターネット株式会社 社長室 室長

さくらインターネット株式会社 社長室 室長。ファッション誌の編集者、PR会社にてプランナー/クリエイティブディレクターを経て、2017年にさくらインターネット入社。第一期うめきた本社移転プロジェクトや、経済産業省の委託事業である衛星データプラットフォーム「Tellus」のPR責任者などを歴任し、現職。大阪芸術大学 芸術学部建築学科卒業。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修了。

Blooming Camp

さくらインターネットが運営するオープンイノベーションのための施設。2024年9月に大阪にて開所。オンラインとリアルの双方から人々がつながり、チャレンジが生まれる場を目指している。年間数百件のイベント開催に加え、アクセラレーションプログラムや会員制度も提供。

さくらインターネットが運営するオープンイノベーションのための施設。2024年9月に大阪にて開所。オンラインとリアルの双方から人々がつながり、チャレンジが生まれる場を目指している。年間数百件のイベント開催に加え、アクセラレーションプログラムや会員制度も提供。

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