Pickup
2026.07.14
インタビュー | 箭内 道彦×竹林 正豊
「365日365玉砕。」で世界は変わる。箭内道彦と探る生涯オルタナティヴな生き方、「アンチ」という名の愛 ― 【欲望ハンタージャーナル】 #05
さくらインターネット 株式会社, Blooming Camp

「『やりたいこと』を『できる』に変える」を企業理念に掲げるさくらインターネットは、これまでにデジタルインフラの第一人者として多くの企業や教育の現場にコミットしてきた。そしてこの度、さくらインターネット社長室とコネル/知財図鑑の取り組みとして、来たる2030年に向けたスローガン「やりたいが増えちゃう世界へ」を制定。情熱を燃やし、他者を巻き込み、熱量の高い「やりたい」がインターネットのように広がっていく――そんな世界像を模索すべくスタートしたのが『欲望ハンタージャーナル』である。
全5回の大トリを飾るゲストは、広告業界の異端児として知られるクリエイティブディレクター・箭内道彦さん。企画段階から「絶対に話してみたい人」として、聞き手を務める竹林正豊さん(さくらインターネット社長室・室長)が熱望していた存在だ。代表作であるタワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」を筆頭に、箭内さんの「アンチ」な生き様と仕事術の数々は、あらゆるカルチャーとジャンルを超越し、日本中の若者を熱狂させてきた。また、近年は母校・東京藝術大学で教鞭を振るうほか、2011年の東日本大震災をきっかけに、故郷である福島の復興支援をライフワークとして活動している。
以下の対話では、両者のルーツや「勘違い」、あるいは愛すべき「失敗」の軌跡を振り返りながら、アンチ/オルタナティヴな生き方を徹底的に掘り下げた。箭内さんの言葉はパンチラインの連続で、読み終える頃にはきっと、あなたの中の「玉砕したい衝動」が疼き出すはずだ。
「アンチ」という名の愛、オルタナティヴな生き方のルーツ
竹林
本日はお忙しい中、ありがとうございます。今日はかなり緊張しています。手が震えるくらい、箭内さんの表現やスタンス、流儀に影響を受けてきました。
箭内
それがまずおかしいんですって(笑)。でも、年を取るとそういうふうに言ってもらえるのは嬉しいもんですね。僕も先輩たちへのリスペクトははっきり表明しようと思いました。
竹林
ちなみに箭内さんの書籍『871569(箭内語録)』(講談社/2010年)は常に机の上に置いてありまして、自分を奮い立たせたいときや、メンバーの背中をふと押したいなと思ったときは、そのたびに本を開いて語録を拝借させてもらってます(笑)。箭内さんって、誤解を恐れずに言えば、アンチ/オルタナティヴの人というイメージがあります。でもそれは、単なる「反抗」や「逆張り」ではない気がするんです。まず、箭内さんにとって「アンチ」とは何なのか。そして、その言葉はいつ頃から自分のものになったのか、あるいは周囲から言われるようになったのかを聞いてみたいです。
箭内
幼少時からそのスタイルに気づいていたと思います。父親が8人きょうだいなんですけど、ほかの7人はみんな大学に行ってるんですね。ところが、うちの父親だけは「商売をやりたい」と商業高校に入るんですが、「こんな学校じゃ何も学べない!」と言って、夏休み直前に退学して住み込みの丁稚奉公に出たんです。もう、そっからオルタナティヴじゃないですか(笑)。そういう人の近くにいたので、当たり前のように自分もオルタナティヴになっていったんだと思うんですよ。
小学4年生のときに阪神タイガースのファンになるんだけど、巨人(読売ジャイアンツ)のV9(※1)を「不健全だ」って思ったりね。いや、今考えたら素晴らしいことなんですけど、当時は「つまんねえな」って。そうそう、僕は小1の時に漢字の書き順を覚えることをやめたんです。たとえば「右」と「左」っていう字、似てるのに書き順は逆(※2)でしょ? 右は左払い(ノ)から入って、左は横棒(一)から書いて⋯⋯これに一体何の意味があるんだろうって、すごく反発を感じた。できあがったものがちゃんとできてたら、途中経過なんかどうでもいいじゃないかって思っちゃったんですよね。
竹林
箭内さんのアンチ体質がそんなに早くから芽生えていたとは、衝撃です。
箭内
今回あらためて自分のルーツを考えてみたんですけど、僕、運動オンチだったんですよ。今日もこんな感じでジャージ履いてますけど、偽者なわけ(笑)。やっぱり運動ができない子って、幼稚園でも小学校でもヒエラルキーのいちばん下じゃないですか? そこでなんとか生き残っていくためには、クラスのみんなができないことをできるようになるしかないと。運動が100人の中でビリだったとしたらいつまでも勝てないけど、新しい土俵をつくれば、そこには自分しかいない。それが子ども心に考えた生きる知恵だったんでしょうね。「アンチ」って言えばカッコいいんだけど、自分がない人による自分への辿り着き方だったのかもしれません。
以前、フジテレビの『オデッサの階段』(※3)という番組で、プロデューサーの冨士川祐輔さんが僕のことをいろいろ掘り下げてくれて、「箭内道彦のアンチとは愛である」と暴かれたんです。「巨人が嫌い嫌い」って言ってるけど、オマエ、巨人についてこんなに詳しいじゃないか! みたいなね。結局「アンチ」っていう入り口から入るけど、ストレートなところに戻っていくためのひとつの道だったんだなと。
竹林
僕も小さい頃から「ヤマカワやな」ってよく怒られてたんです。地元・奈良の方言だったのかわからないんですけど、「あべこべ」に近い意味ですね。それこそ父親とおじいちゃんが巨人ファンで、家のテレビでもずっと巨人ばっかり流れていたので大嫌いでしたが、あの頃の巨人選手の背番号は今でもそらで言えます(笑)。
箭内
これ(アンチ)って、ある種の病気とか症状みたいなものなんでしょうね。
竹林
書き順のお話がありましたけど、僕も結構ヤバくて。数字をこうやって1、2、3、4、5、6、7、8、9⋯⋯ってルールを逸脱した書き順のクセが染み付いてるんですよね。
箭内
あ、今の若者もめちゃくちゃですよ! 俺、若い人たちがめちゃくちゃに書くのを見て「勝った!」と思いましたもん。50年以上を要したキャンペーンだったけど、やっと俺の時代が来たと(笑)。結局、書き順って、お行儀良くさせるための押し付けなんですよね。もちろん、字を美しく書くためのコツだとも思うんだけど。戦時中・戦後も含めて、お国の言うことをちゃんと聞く人を育てる義務教育のひとつのツールだったんじゃないかなと。竹林さん、人前で字を書くの苦手でしょ?
竹林
それでいうと僕、あえてホワイトボードとかで書くときは、「この人は変わり者だから」みたいなブランディングができてるんですよね(笑)。ちょっとヘンなことを言ったり、普通のことを言っても、勝手にフィルターを付けてくれるんでラッキーだと思ってます。
箭内
それなのに「社長室室長です!」みたいなね。ギャップで稼ぐわけだ(笑)。
※1 V9 (読売ジャイアンツ)・・・読売ジャイアンツが1965年(昭和40年)から1973年(昭和48年)にかけて9年連続でプロ野球日本シリーズを制覇した偉業。川上哲治監督のもと、王貞治・長嶋茂雄のON砲を擁し、チームプレーを徹底した「精密機械」のような守りで頂点に君臨し続けた。日本の高度経済成長期とほぼ重なる時代を象徴する出来事としても語られる
※2 「右」と「左」の書き順・・・「右」は左払い(ノ)から、「左」は横棒(一)から書き始めるため、一画目から順序が異なる。筆の運びの流れを重視した結果とも言われるが、その理由には諸説ある。どちらも小学1年生で学ぶ、身近だが奥深い漢字のひとつ
※3 『オデッサの階段』・・・フジテレビ系列で2012年10月から2013年3月まで放送されたドキュメンタリー番組。毎回1人のクリエイターを、周囲の証言も交えながら複数の視点で掘り下げるスタイルが特徴。番組名はエイゼンシュテイン監督の映画『戦艦ポチョムキン』に登場する「オデッサの階段」のシーンに由来し、モンタージュ理論を確立した映画史上の名場面になぞらえ、ドキュメンタリーの新たな表現を目指した
勘違いから、新しい景色がはじまる
竹林
先ほど『オデッサの階段』のお話がありましたけど、当時、録画したVHSテープがすり切れるほど見ていた記憶があります。
箭内
めちゃくちゃ嬉しいです、正直。10年前だったら「ふーん」みたいな感じでカッコつけてたけど、今は自分を肯定してくれる人のことは大切にして生きていこうと思ってますよ。昔は、よく街なかで若い人に会うと「箭内さんって俺みたいですね」って言われてたんです。当時は隙を見せないように突っ張っていましたけど、それが逆に、若い人には親近感を覚えてもらえていたのかな。
竹林
話は少し変わるのですが、箭内さんの広告や表現は、当時の僕らにとって本当に革命的でした。あのスタンスを目の当たりにして、良い意味で「こんな表現のあり方だって、アリなんだ」って、「勘違い」したり「空回り」したり……そんな衝動に突き動かされた人は、きっとたくさんいると思うんです。箭内さんご自身は、当時のそうした熱狂や視線をどんなふうに感じていましたか。ぶっちゃけ、イヤではなかったですか?
箭内
全然イヤじゃなかったです(笑)。やっぱり、「勘違い」って大きな人生のきっかけをつくることができるし、原動力にもなるしね。そうやって勘違いしてくれた人の中から新しい光が出てくるっていう。それまでの道はそうじゃなかったんですよ。「あんな作品をつくりたい」とか、「ああいう広告が素晴らしい」と思ったら、そこに向けてどう辿り着くかが勝負だった。だから僕は、「勘違いする人」を──ちょっと生意気な言い方だけど──もっと増やせたらいいなと思っていたんです。
竹林
僕は大阪芸大で建築を学んでいた頃、「物理的なハコを建てるより、頭の中に建築を建てるほうが面白いのでは?」と思って、最初は雑誌編集の世界に入りました。その後、広告ディレクションやモリサワでの仕事を通じて、デザインやクリエイティブのど真ん中に触れるたび、自分はこのままでいいのか⋯⋯と自問していて。そんな霧の中で、学生時代に大好きだった箭内さんの作品を思い出したんです。「あ、自分、このままでいいんだ」と、勝手に勘違いさせてもらって(笑)。その勢いのまま今日まで突き進んできました。
箭内
世の中には、ちゃんと才能がある人がいるというのは事実です。じゃあ、そうじゃない人にはチャンスがないのか? というとそんなことはない。僕も自分には才能がないという自覚を昔から持ってて、「佐藤可士和(※4)みたいにはなれないな」とか、自分より若い子たち──博報堂の後輩であれば佐野研二郎(※5)とかね。ああいうの俺には無理だなあと思って、それならどうやって自分らしいやり方で仕事ができるのか。そこだけを研究・実践してきた部分もあるので、我ながらよくやったなあと思います。アメリカン・ドリーム──そんなでっかい領土は取ってないけど(笑)、才能のなさとか、花開き方のギャップはかなり大きい部類だと自負していますね。泥まみれになりながら、今日こうしてここにいる⋯⋯みたいな。でも、それは竹林さんも一緒でしょ?
竹林
はい、おっしゃるとおりです。アンチ・ドリーム(笑)。
箭内
まあ、なんかインチキなんですよね、僕らがやってることって。僕なんて「知財」じゃないもん(笑)。
※4 佐藤可士和・・・クリエイティブディレクター。1965年東京都生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業後、博報堂を経て2000年に独立しクリエイティブスタジオ「SAMURAI」を設立。ユニクロ、楽天、セブン-イレブン、今治タオル、国立新美術館など数多くの企業・施設のブランディングを手がけ、ロゴデザインからトータルプロデュースまでを一貫して行うスタイルで知られる。SMAPのアルバムアートワークも長年担当。毎日デザイン賞、東京ADC賞グランプリ、亀倉雄策賞、朝日広告賞グランプリほか受賞多数
※5 佐野研二郎・・・グラフィックデザイナー、アートディレクター。1972年東京都生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業後、博報堂/HAKUHODO DESIGNを経て2008年に「MR_DESIGN」を設立し独立。auの「LISMO!」、トヨタ「ReBORN」、TBSのキャラクター「BooBo」、NHK Eテレ「ふうせんいぬティニー」など、広告からキャラクターデザイン、商品開発まで幅広く手がける。2025年には二宮和也主演の映画『8番出口』のアートディレクションを担当し、第78回カンヌ国際映画祭のポスターデザインコンペティション「Prix Luciole」にて最優秀賞を受賞した
「善意のメディア」としてのインターネット
竹林
我々はデジタルインフラの事業をやっている会社ですので、ぜひ箭内さんにはインターネットのこともお聞きしたかったんです。最初にインターネットに触れられたのはいつだったか憶えてますか?
箭内
全然憶えてないですねえ。ただ、スマホがなかった頃ですから、まずパソコンありきですよね。僕が博報堂に入社した1990年頃って、ちょうどMacが広告の世界に入って来たタイミングだったんです。どういうわけか漢字の書き順と同じで、「これは危ないものだ」って思ったわけですよ、僕は(笑)。それでデザイナーたちはみんなMacの研修に行かされるわけです。「これからはMacの時代だから」「写植も水引やカラス口を使ってる場合じゃないぞ」と。それこそ若手のデザイナーから、40代のベテランまで必死でMacの操作を覚えて。でも僕、その研修に全部行かなかったんですよ。
竹林
ええ! それは、ヤバいですね(笑)。
箭内
「賭け」に出たわけですよね。Macを今覚えたところで、「Macに使われる」っていうふうに反発した。これ、たぶんどこにも言ったことないですよ(笑)。だから俺、すごくMacが下手なんです。Macができる人にどう指示するかとか、その人をどう盛り上げるかとか、どう試行錯誤してつくるかっていうことを考える力が、自分でMacをいじることでダウンするって考えたんですよね。そうすると、Macで何をどこまでできるのか知らないですから、無茶なことが言えてしまうわけです。ですから、もし今「Macでなんか円描いてみろ」とか言われたら、上手にできないですよ。これ、衝撃の発言ですよね。だから、Macが上手な人と一緒に仕事するっていうのがすごく重要で、そういう人をスカウトし続けているんです。
竹林
意外すぎてびっくりしました(笑)。では、インターネットを使うようになったのもかなり後からですか?
箭内
90年代はインターネットとの触れ合いも極端に少ないほうでしたね。いっぽうで、L'Arc〜en〜Cielの広告とか、タワーレコードとかの仕事をやらせていただくなかで、当時『広告批評』(※6)の副編集長だった白滝明央さんにこう言われたんです。「箭内さんの広告のつくりかたは、ほかの人とまったく違って“編集的”ですね」と。その方はもう亡くなってしまったんですけど、「会いたい人に会いに行く」とか、「撮影してからいろいろなことを決める」とか、「その場で随時アップデートしていく」とか、そういうスタンスが編集的なんだって。
あと、ほかの人には「SNS的だね」とも言ってもらったことがあります。別に、時代を先取りしてたとか言うつもりは全然なくって。広告を見た人がどう関わってくるか? とか、どう反応するか? とか、そこでどういう関係をつくるか? みたいなことを、インターネットを使わずに「紙と映像」でやろうとしてたんだなって。『月刊 風とロック』とかは2000年代に入ってからですけど、その後のインターネットで簡単にできることを紙媒体でやっていたわけですし。
そうそう、今日はこんなものを持ってきました。ゆべしス (JUVESIS) っていう、僕がTHE BACK HORNのドラマーである松田晋二とやってるユニットの曲なんですけど、その名も「インターネット家族」。2008年頃に書いた曲⋯⋯というか、トラックにあわせて読み上げてるだけなんですけどね。
竹林
すみません。大ファンなんですが、僕、こちらは存じ上げなかったです。
箭内
かなり密かにやってますから、東京藝大の学生とかも誰も知らないと思う。松田と僕のどちらかが前半、もう一方が後半を書く「RHYMESTER方式」です(笑)。そこでインターネットの在り方を綴っているんですよ。《パソコンで打った文字よりも/手書きの文字がぐっとくるのは何故だろう》とか、《インターネットは嫌い/簡単にたどり付けてしまうから》とか、《インターネットが好き/相手の顔が見えないから》とかね。
もう20年近く前に書いた歌詞ですけど、この頃と今ってインターネットはあんまり変わってないんだってちょっと思ってて。要するに、《インターネットを善意のメディアにしたいんだ》ってことを訴えてる歌なんです。最近は何でもかんでもインターネットのせいになって、実際に様々な犯罪の温床になってしまうケースも少なくなくて。善悪どちらの側面もあるけど、「100パーセント幸せなインターネット」をつくりたい。それっておそらく、さくらインターネットさんも同じでしょ? だから、インターネットって放っておくと悪いほうに行くけれど、みなさんはそれを食い止める戦士たちなわけですよ。まだまだ道半ばだとは思うんだけど、インターネットから悪い奴らを一掃したいなと思いますよね。
竹林
めちゃくちゃいいですね⋯⋯。僕らが大阪で運営しているイノベーション共創施設「Blooming Camp」も、インターネットだけではなく、フィジカルだからこそ起こる出会いや関係性をつくる場所として考えています。ここ数年は特にそういうことを考えていたので、箭内さんのお話は首がもげるほど頷きながら聞いておりました。「インターネット家族」の“家族”っていうのは、一般的なお父さんがいて、お母さんがいて⋯⋯の家族とは違いますよね?
箭内
じゃないですね。どちらかというと「コミュニティ」っていうか、インターネットでつながるすべての人たちを大括りにしています。「インターネット惑星」と呼べるほど大きなテーマでもないですけどね。「家族」とか「ファミリー」って、あったかいものや深い絆みたいな歌詞になりがちだけど、ニュースとか見てると、殺人事件だって家族間で起きるわけじゃないですか。よく僕らのライヴに来てくれる人には「親戚みたいだね」って言うこともあるけど、親戚って赤の他人よりも嫌いな相手だったりする場合もありますよね。自分に似てるからこその近親憎悪的というか。そういうこともひっくるめて「家族」とタイトルにつけております。
※6 『広告批評』・・・天野祐吉が主宰し、1979年に創刊されたテレビCMなどの広告を批評する月刊誌。広告業界にとどまらず幅広い読者に支持された。インターネット広告の台頭による広告環境の変化を受け、創刊30周年のタイミングとなる2009年4月号をもって休刊した
365日365玉砕。失敗こそが僕らの燃料だ
竹林
箭内さんは長年、故郷・福島を応援する仕事を続けていらっしゃいます。その中で「福島と結婚します」という発言がありましたし、コミュニティや世界/社会全体を「家族」と捉えるような発言があったとも記憶しています。僕はコミュニティも重要だなと思っていて、それこそ会社もひとつのコミュニティですし、仕事のプロジェクトもコミュニティといえばコミュニティですよね。
僕はバツイチなんですけど、家族を「制度」というより、ひとつの「プロジェクト」として捉えようとしたことがあるんです。家族のミッション・ビジョン・バリューを考えて、ロゴまでつくって(笑)。だからこそ、箭内さんの「福島と結婚します」という言葉も、長い時間を引き受けるプロジェクトのように聞こえていて。箭内さんは、大きな意味での「コミュニティ」や「プロジェクト」を、どのように捉えていますか。
箭内
まず第一に、「仕事」ってインターネットと同じで、悪者にされがちじゃないですか。だけど僕の場合は仕事がすごく好きだし、趣味も何もないので仕事しかできないんですよ。僕の語録にも「仕事友(シゴトモ)」って書きましたが、お仕事だけでつながってる友だちってホントに心地いいし、志も近いし、磨き合える感じがあって。竹林さんが今おっしゃったように、僕もコミュニティとプロジェクトって近い関係だと思うんですよ。するとね、「会社だって仕事だけでつながっているわけじゃないし、寂しいじゃないか!」みたいに思われるけど、やっぱり人は何かを成し遂げていく中で自分を成長させることができるわけで、それがまず気持ちいいですよね。
たとえば、このインタビューで獲れ高があったら気持ちいいわけだし、打ち上げでビールがおいしく飲めるわけじゃないですか(笑)。だからもう、仕事をあんまり悪者にするのはやめたいなと思って。全部がプロジェクトだって捉えられたらラクになると思うんですよね、きっと。子どもが大人になっていくのも──別に戦争に行かせるわけじゃないけど──この世界を少しでも良くする一員になってほしいっていう想いはあるわけだし。昔、前澤友作さんと対談したことがあって、「すべての仕事は誰かを幸せにするためにある」みたいなことを語ってくれました。でも、そういうのが受け入れがたい人もいるでしょう。
仕事ってそんなに甘いもんじゃないよっていうかもしれないけど、みんな何かしら、間接的にでも世界を良くしようと思ってるわけじゃないですか。そのための「単位」をどうつくっていくかっていうのがプロジェクトの考え方だと思う。竹林さんが言ってたプロジェクト型の結婚だって、1回目の失敗が2回目のプロジェクトに活かせたわけだからね(笑)。
竹林
はい(笑)。1回目のエラーを踏まえて、じゃあ次はどうアップデートしていくかというチャレンジでした。ある意味、結婚もITのシステムも、最初から完璧を目指すのではなく「常に未完成である」という前提に立つと、トライ&エラー自体が面白くなっていくんですよね。ITなんてまさに、先人たちの壮大な失敗が重なった上に成り立っているようなものですし。
箭内
僕ね、バツイチしか入れないロック・フェスティバルをやりたいなと思ってて。初婚とか独身の人は入れませんって。たぶん、バツイチの人たちだけにわかる何かが絶対あるだろうなと思うんで、ミュージシャンもバツイチしか呼ばない。竹林さんも一緒にやりましょうよ。
竹林
ぜひ! 個人的に(笑)。数年前、慶應のシステムデザイン・マネジメント研究科に通っていたんですけど、そこで「有期なものがプロジェクトで、それが定常化するとシステムになる」という考えに出会ったんです。僕にとってプロジェクトとは、社会に対してハテナを突きつけ続けること。社会にハテナを突きつけ続けるのがプロジェクトだとすると、成功しようが失敗しようが、その過程こそが次のタネになる。結果に縛られず、常にハテナを投げ続けていく姿勢こそが大事なんだと考えるようになったんです。
箭内
僕は「チャレンジ」や「挑戦」っていう言葉が嫌いだったんです。昔の話ですよ(笑)。そのギラギラした感じというか、チャレンジって失敗を前提としてるんじゃないかと捉えていたので、失敗込みで「当たって砕けろ!」の精神が粋だよなと。で、60年以上も生きていると、成功よりも失敗のほうがはるかに楽しいなと痛感します。失敗を楽しむことさえできれば、人生で退屈な日は一日もなくなりますよ。
竹林
「チャレンジ」という言葉が嫌いだという感覚は、僕も同感です。ただ、「失敗も好き」って楽しいなって。ちなみに、そんな箭内さんが「チャレンジ」を別の言葉で言い換えるときは、どんな言葉を使われていたんですか?
箭内
僕が『871569』に書いたもののひとつに「365日365玉砕。」があります。玉砕の連続の中に、突然成功が向こうからやってくる──そんなふうに思って一か八か砕け散るくらいの気概があったほうがね、気持ちもラクにやれるんじゃないかなって。まあ、そんなこと言いながら僕は藝大を4回も受けてますから(笑)。今思えば、あれはチャレンジしていたわけです。チャレンジという観点では、これまでの3回の失敗をどう活かすか⋯⋯を一所懸命考えるわけです。そのプロセスが面白かったのかもしれませんね。
僕の人生って、1回目で成功したことはほとんどなくって。失敗したことをバネにするでもなく、タネにするでもなく、どうやったら突破できるのか? ってアイデアを考えるクセがついていました。それは広告をつくっていても、イベントをやってても必ず生きてくるし、原点がアンチ/オルタナティヴですからね。こう、思いっきり逆にバットを振っていくことで、次の方法を見つけていく──っていうのは、きっと死ぬまで変わんないんだろうなって思います。
竹林
さくらインターネットのレンタルサーバが結構「安い」と言われるのも、実はその「未完成な状態でのチャレンジ」を肯定したいからなんです。失敗のコストを下げて、「何度でもやり直せる世の中をつくる」というのが我々の考え方で。まさに箭内さんがおっしゃる「365日365玉砕できるための社会」ですね!
箭内
いいですねえ。素晴らしいです、社長室室長!
広告は、好きなものを「好き」と言うこと
竹林
広告の話に戻りますと、今でこそテクノロジー系の方が広告業界に入ってくるのは珍しいことではなくなりました。中村勇吾さん(※7)や菅野薫さん(※8)のようなテックと広告を横断されたクリエイターが頭角を現した2010年代の広告って、箭内さんはどのように受け止めていたのでしょうか。
箭内
すごく正直に言うと、中村さんや菅野さんに対しては猛烈な劣等感というか、コンプレックスを感じますよね。やっぱり地頭の良さっていうか、そのテクノロジー的な部分を僕は持ってないわけで。しかも、持ってないどころか1990年にMacを捨てているわけだから(笑)。
竹林
たしかにそこはデカいですよね。そして、今もMacは捨てたままなんですね(笑)。
箭内
今や「一億総◯◯」っていう言葉も使われないぐらい、世界中の誰でも広告をつくれる時代じゃないですか? 自分の好きなものをみんなに自慢するとか、応援したい気持ちとかが広告の基本だと思うんで。そもそも、広告制作が何らかの特権というか、代理店の限られた人だけがやれてる状態ってすごく不健全。広告ってどこから入ってきてもいいんです、ホントは。
その突破口というか先駆けが、中村さんや菅野さんだった部分もありますよね。もっといろんな人が、いろんな業種・出自から広告に来てくれたら、広告はさらに盛り上がると思う。だから、もっと「勘違い」してくれる人が増えて、「建築みたいな広告をつくってみよう!」とか、「農業みたいな広告をつくってみよう!」となってくれたら面白い。広告ってホントに自由だし、プレーンな場所なので、360°どこからでも入って来れるはずなんですよ。
竹林
前回登場いただいた日本デザインセンターの有馬トモユキさんが語っていた、「勘違いって“文化”を生むんです」という言葉とも共鳴しますね。博報堂をやめて独立した箭内さんが「広告は自由だ」とおっしゃるのは、非常に説得力があります。昨今のインターネット広告についてはいかがですか?
箭内
広告の総予算の中でも、テレビ、新聞、雑誌、そしてラジオが「4媒体」って言われてましたよね。そこにインターネットが加わって5媒体になって、あるときラジオがインターネットに抜かれて、「うわー、もうそんな時代なんだ!」って思っていたら、今やテレビの2倍(※9)じゃないですか。だからインターネットがない時代にインターネットが彗星のごとく出てきたように、この後の社会、世界に対して何らかの「賭け」にみんなが出ないといけない時期なんでしょう。たとえば、今AIを開発している人たちは、現時点では賭けに勝ってるわけじゃないですか。それに広告って、本来もっと使いやすい場所のはずでしょって思います。
竹林
なるほど。今日ぜひお聞きしたかったのですが、箭内さんの活動って「すべてが広告」として語られていますよね。僕自身は、ハンス・ホライン(※10)の「すべては建築である」じゃないですが、場のつくり方や人の動き、関係性まで含めて、わりと何でも“建築”として見てしまうところがあるんです。でも、今のお話を聞いていると、僕にとっての建築にあたるものが、箭内さんにとっては広告なのかもしれないなと。あえて箭内さんの言葉で「広告」を定義するとしたら、どんなものになりますか。
箭内
広告には「広い」って字が入っちゃってますけど、広い/狭い関係なく、その対象の魅力を相手に伝える行為だと思うんですよね。僕は昔から「広告することは応援すること」だと思っていて、それはスポーツの応援もそうだし、商品の宣伝も、企業も、それを使う人たちも、それが存在する社会もそう。対象を「応援すること」が広告だと思っています。また甘っちょろいこと言ってるなって感じる読者もいるかもしれないけど、僕はそう思うことで自分を勇気づけているというか。これって竹林さんが建築に抱く想いと同じですよね。
だから別に、広告じゃなくてもいいんですよ。たとえば、「すべては音楽だ」と。CMも、人を鼓舞するメロディーも、文章も音楽なんだと。だから自分の信じたものを掲げて、そこに自分のやってることを無理やり意味づけしてけば、みんなが生きてゆくための「道しるべ」になるんじゃないかと思って。僕にとってはそれが広告だったし、「箭内さんは広告やめちゃったんですね」ってよく言われるから、なおさらそこへの反発もあって。「いやいや、俺やめてませんよ」「むしろ今がいちばん、広告のど真ん中にいますよ」みたいなことを言うようにしてますね(笑)。極論、大学で教えることすらも広告だと思ってますんで。それは単純に「藝大はいい大学ですよ」って発信するわけじゃなくて、学ぶこと、知ること、体験することの面白さを学生たちに向けて広告してると言うか⋯⋯流行らない考え方だとは思いますけど。
竹林
先ほど少しAIの話題も出ましたが、箭内さんはAIについてどう思われているのかなと。
箭内
僕、AIを信用するようになった出来事があるんですよ。一度「箭内の良さは?」「風とロックは今後どうなっていったらいい?」って聞いてみたことがあって、最初は結構いい加減だったんですけどね。「風とロックは、自然派のドキュメンタリーを撮る会社ですよね」と。風とロックの「ロック」を「岩」だと勘違いしたっぽくて(笑)。それが今じゃだいぶ成長して、「偶然性を愛する美学」とかって僕に投げかけてきたわけですよ。あと、「意識的に予測不可能な方向へと導く力」とも言われて。僕、どこのインタビューでもそんなこと言ってないし、自分でもそういうふうに意識はしてなかったけど、「たしかにそうだな」って。ある意味ではAIマジックなのかもしれないけど、その日から信用することにしたんですよ。
そこで漢字の書き順に戻るし、少し矛盾するんだけど、芸術とかデザインとかクリエイティブとかって、「なかなかうまくいかねえな」とか、「もうダメだ!」みたいなことがとても大事なんですよね。まあ、さっきの「失敗」もそうですけど、それを体験させるAIっていうのはまだまだ出てきてないので。楽しいのはやっぱりプロセスなんですよね。プロセスにおける葛藤だったり、挫折だったり、とんでもない勘違いだったり⋯⋯そういうのがすごく楽しかったんだなと日々感じます。
竹林
箭内さんがおっしゃる「予測不可能な方向へと導く力」は、僕らもまさに関心を持っているところなんです。最近は、AIで“正解”を出すのではなく、予定調和を少し壊して、新しい出会いや問いを生むための実験をしています。2025年から提供しているBuddiesも、相性のいい人を「マッチング」するというより、思いがけない交差点を見つけるための「クロッシング」として考えています。もうひとつ、Blooming Campで生まれたイベントや対話を、AIによっていくつかの視点から記事化する実験も進めています。AIに正解を言わせるのではなく、あえて発散させて、人間の頭をもう一度動かす──そういう使い方をしたいんです。
箭内
へえ〜。すごく面白いですね。今の時代でいちばん必要なものなんじゃないですか?
竹林
間違いない「答え」を出してくれるみたいなAIの使い方じゃなくて、発散させて自分の頭を使わせましょうっていうことをやろうとしてるんです。ですから、今の箭内さんのお話を聞きながら「よっしゃ合ってた!」と心の中でガッツポーズしてました(笑)。
箭内
別に俺、ウォッチャーでも預言者でもないから(笑)、
※7 中村勇吾・・・1970年生まれ。東京大学大学院修了後、橋梁設計会社を経てウェブデザインの世界へ。2004年にデザインスタジオ「tha ltd.」を設立。インタラクティブデザインの第一人者として、UNIQLOのウェブディレクションやKDDI「INFOBAR」のUIデザイン、NHK「デザインあ」のディレクションなど幅広く手がける。本連載の第3回にも登場
※8 菅野薫・・・クリエイティブ・ディレクター/クリエーティブ・テクノロジスト。東京大学経済学部卒業後、2002年電通入社。データ解析や研究開発を経てクリエーティブ部門へ。テクノロジーと表現を掛け合わせた手法でPerfumeやビョークとのコラボレーション、Hondaの「Sound of Honda / Ayrton Senna 1989」など国内外で高く評価される作品を多数手がけた。2022年に電通から独立し、クリエイティブ・ディレクター・コレクティブ「つづく」を設立
※9 インターネット広告費・・・電通「2024年 日本の広告費」によると、テレビメディア広告費が1兆7,605億円であるのに対し、インターネット広告費は3兆6,517億円と約2倍に達した。インターネット広告費は総広告費7兆6,730億円の47.6%を占め、4年連続で過去最高を更新している
※10 ハンス・ホライン・・・1934年ウィーン生まれの建築家(2014年没)。1968年に発表した論考「すべては建築である(Everything is Architecture)」で、建物に限らず人間を取り巻く環境すべてを「建築」と捉える拡張的な思想を提唱し、ジャンルを越境する活動で知られた。美術館建築の名手としても評価が高く、1985年には建築界最高の栄誉とされるプリツカー賞を受賞している
自分に対する「アンチ」で、燃え続ける
竹林
さっきのAIや広告の話にもつながるんですが、いまは「多様性を認める」段階を超えて、そもそも世界そのものがどんどん多様化している気がするんです。正解をみんなで共有する必要もないし、AIによって自分だけの世界がいくつも立ち上がる。ある意味、マルチバース的な時代ですよね。
そうなると、僕らが惹かれてきた「アンチ」や「ポスト」や「オルタナティヴ」は、成立しにくくなるんじゃないかという不安もあって。全部が認められる世界で、何に逆らえばいいのか。箭内さんは、その感覚をどう見ていますか。
箭内
たしかに「オルタナティヴ」っていうのは、未来永劫あるわけじゃないと思います。ちょっとまた昔の話になっちゃうけど、会社員時代に「博報堂を一生やめません」って社内報で宣言したら、逆にやめたくなっちゃったっていう、そういう話も自分の中でオルタナティヴしたわけですよ。自分にアンチしたというか。それも、言語化することによって「メタ認知」じゃないけど、そういう衝動が生まれたわけです。だから、対社会・対会社・対世界のオルタナティヴじゃなくって、自己矛盾であったり自己肯定であったり自己否定であったり、自分の中にあるオルタナティヴ・サイクルエンジンっていうのは回り続けるような気がするんですよね。
それと、会社をやめるときに、「オマエはもう終わりだ」って言ってきたクリエイティブディレクターがいたんですよ。「会社の中にいたから逆らう相手がいたんだぞ。自由な世界に行ったら、逆らうものが何もなくなるよ」と。竹林さんがおっしゃるAIがつくる多様化の世界って、きっとそういう自由な世界だとも思うんです。とはいえ僕、博報堂をやめて23年が経ちましたし、もちろん時代環境は全然違いますけど、「逆らいたいもの」はなくなってないわけですよ。だから大丈夫な予感はしますね。確証はないんだけど、やっぱり人間って、AIに慣れる・慣れないもあるし、AIをどう使いこなすか、AIに使われるのか、いろいろあるけど、目の前で起きたことに順応したり反発したりっていうのは、人間だけが持ってる面白い機能だし。
広告業界にいる人たちって、いい意味でホントにノンポリな人が多くてね。だからこそ柔軟にいろんな企業のお手伝いができるわけなんだけど。そういう中で、これから起きるよくわからない何かに、そのときそのときで向き合っていけば、人間ってまた自ずと面白いことをやり始めるんじゃないかなと思います。「多様化」に対するオルタナティヴが起きたりとかね(笑)。「多様なんてつまんない!」ってみんなが言い出すとか。ずっとそうやって揺れ動いて、振り幅の中で人はグルグルグルグル回ってるんじゃないかなって思います。でも、そんな中で好きなものに出会ったり、キレイな花を見つけたり、誰か好きな人にときめいたりとか⋯⋯そういう本質的なことは絶対なくならないので。
竹林
ありがとうございます。最後の「自分へのアンチで、自分は一生いける」という話、めちゃくちゃ痺れました。アンチって、外に見つけるものじゃなくて、自分の中で回り続けるエンジンなんですね。世の中がどう変わっても、自分の中に「本当にこっちでいいのか」とザワつく感覚が残っていれば、オルタナティヴは続けられる。最終回に、すごく大きな答えをもらった気がします。実は、直前まで僕も金髪に染めてこようかめっちゃ迷ったんですけど、さすがにドン引きされるかなって(笑)。
箭内
竹林さんは金髪にしなくて大丈夫ですよ! 金髪は「鎧」みたいなものですから、心の弱い人がするんです。僕は髪の毛が最後の1本になってもブリーチするつもりですよ。それは樹木希林さんとの約束だから、破るわけにはいかないですもん。
欲望ハンター竹林の編集後記
最終回。
ぼくは最終回が「すき」です。
『relax』も『Lmagazine』も最終号は大事に取ってあります。『WIRED(若林編集長版)』は購読していたので、休刊のお知らせの手紙も取ってあります。『いいとも!』の最終回も、『みなさんのおかげでした』の最終回も、箭内道彦さんがMCをされていたNHK『トップランナー』の最終回も、ハードディスクが壊れるまで何度も見ました。壊れたハードディスクも取ってあります。
そして『欲望ハンタージャーナル』の最終回。ぼくがどうしても「あいたい」と思っていた箭内さんに出ていただけたのは、大変光栄でした。当日は手が震えまくり、この原稿の校正中にGoogleドキュメントのコメントで「箭内道彦」と出たときには、嬉しすぎてそこだけスクショしました。編集後記も「もしかすると箭内さんが読んでくださるんだ」と思うと、また手が震えて、締切を2日オーバーしてしまいました(言い訳)。
箭内さんは、「小さな頃から人と同じことをしたくない、人と同じことができない」ぼくという人間を、「アンチ」というとてつもなく大きな傘で救ってくれました。この傘の中にいれば、自分はこのままでもいいかもしれない。この傘を振り回せば、もっと楽しくなるかもしれない。そんなことを教えてくれた気がしています。とはいえ、別にめちゃくちゃ悩んでいたり、生きづらかったわけではありません。もっともっと「ヤバい」遊び方を教えてくれた、という感覚に近いかもしれません。
話は戻りますが、ぼくが最終回を好きな理由のひとつは「ここまでで終わるんだ」とわかる安心感と、終わったところから答え合わせができるワクワクがあるから。もうひとつは、ここから新しい何かが始まるのだという、まだ見ぬ世界へのワクワクワクがあるからです。今回の最終回は、この「欲望ハンター」という旅の終わりであると同時に、大げさにいうと、ぼく自身の人生の大きな区切りを箭内さんにまとめていただいたような気がしています。
ぼくは箭内さんの「流されるから遠くに行ける」という言葉が大好きで、自分という芯はありつつ、極力流されようとしてきました。それを真似て、誰かを巻き込むときは「流されていることも気づかないくらい巻き込んでやろう」と思ってきました。ただ、今回のインタビューでいただいた「自分へのアンチでいれば、ずっとアンチでいられる」という言葉には、本当に痺れました。自分から溺れて、流されて、飲み込まれる感じ。いまが人生の第何章目かわかりませんが、多様性やAIみたいな外の変化にああだこうだ言う前に、自分に正直に真っ直ぐに、思いっきり「逆走」していきたいと思います。
箭内さん、本当にありがとうございました!
Interview:Masatoyo Takebayashi (SAKURA internet Inc.)
Edit:Kohei Ueno
Photo:Kodai Nagata
Direction:Satoru Kabuyama (Konel Inc.)
Location:MIDORI.so Nakameguro






