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2025.12.27
インタビュー | 引地 耕太×荒井 亮
「こみゃく」の商標から生まれるもの―引地耕太が描く「共有地」での知財の循環

大阪・関西万博が閉幕して2ヶ月。大屋根リングに囲まれ、異形の建築が立ち並んだ賑やかな空間の記憶も、年が明けると急激に薄れていくだろう。国際イベントの公式キャラクターやロゴデザインといったものは開催中はともに盛り上げるが、終了すると役目を終えて忘れられるのが世の常だ。流行語大賞も受賞した「ミャクミャク」も、熱気があるうちにグッズやメディアで消費され、同じ道をたどるのかもしれない。
今回、万博のクリエイティブディレクターを務めた引地耕太氏がインタビューで語ったのは、そのルーティンに対する抵抗策として、万博のデザインシステムや二次創作から生まれた「こみゃく」と、ミャクミャクも含めた万博のデザイン全体を正式な手続きで保護し、これからの社会で活用するための方法だ。「未来社会の実験場」である万博から、いかにリアルな社会にオープンなデザインシステムを実装するかについて、建築家や法律家、経営者、政治家など様々な分野の有識者と議論を重ねてきた。
万博開催直前に公式と非公式の間(あわい)から生まれた「こみゃく」。これは生みの親が我が子を忘却の歴史から救い、未来へつなぐために向き合った過程の記録のようでもある。そんな思いを感じながら、この新しい試みの向かう先について知財図鑑編集長の荒井が聞いた。
こみゃくの社会実装に必要な5つの要素
荒井
引地さんとのインタビューは今回が二回目ですね。初めは6月頃にこみゃくが生まれた背景を伺ったのですが、ちょうど『ブレーン』の特集など、近しい内容の記事が多く出てきたこともあり、一度掲載を見送ったんですよね。そこで、万博閉幕後にいかにこみゃくを残せるのか、という点にフォーカスして、改めて記事化しましょうと話していました。
引地
そうでしたね。あれから知財の観点も含めていろんな方にお話を聞いたり、協会の方とも結構長いこと相談してきましたね。
荒井
こみゃくがここまで爆発的に広がった現象を振り返りつつ、この先の展開についても聞かせてください。この取り組みの成功要因と、それを再現性を持って起こそうとした場合にどんな要素が重要なのでしょうか。
引地
デザインの話だけにとどめると小さな話になりそうなので、少しメタ的に話しましょうか。1つは、世界観をどう共有するか。万博の文脈で言うと「八百万のいのち」。その意義や思いを北極星のように作って「いのちの最小単位としての細胞」があり、アニミズム的にいろんな形がここから生まれていいんだよっていう、その世界観を共有することがまず大事でしょうか。
荒井
物語として、しっかり世界観を示すと価値観がブレませんよね。共通の方向性を示す核となるものですね。
引地
海外の方も来るので、「八百万」の言葉や意味を全員が知らないかもしれないけれど、こみゃくは何にでもなれるんだっていうのは会場の装飾などを見て伝わりますよね。従来であれば、固定された同じこみゃくをみんなが描いてたと思うんですけど、結果的には非常に多様なこみゃくが生まれていって、参加者の創造性が増殖しながらも秩序を保つような状況があった。世界観がちゃんと定まってないと、参加者の間で「これって何なんだっけ」というのがブレていく。
荒井
「それがありなら、こんなのがいてもいいよね」など、自己判断で乗りやすくなります。ルールじゃなくて、「こうやって遊ぶといいよ」という解釈が共通認識として周りに伝わっていた感じがします。
引地
2つ目が「言葉と物語」。世界観だけだと、理念とか意義になってしまって、なかなか面白がれない。人は物語に共感するので言葉にすることが必要です。「こみゃく」っていう愛称にすごくみんなピンときましたよね。丸みのある語感も含め、名前がついたことによってキャラクター化し、いのちを宿されてそのものが勝手に動き始めたっていうのがあるんだろうなと。デザインエレメントとかIDという名称のままだと起こり得ないことで、そこにどうやっていのちを吹き込めるかがポイントなんです。
僕はSNSでも一緒に共通体験を作ってる感覚があって、例えば「世界こみゃく化計画」とか「ちっちゃいだけじゃなくて巨大なこみゃくもいるよ」みたいな説明をしながら世界観を共有するんですね。他にもnull2パビリオンとコラボした「ヌルみゃく」みたいなものが生まれてきたりして、そこからnull2ファンの方がこみゃくの物語に入ってきたり、また逆にこみゃくファンがnull2に興味を持ったりする共創が起こっていくわけです。
荒井
確かに2億円トイレや大屋根リングなど、万博の中で生まれた複数の物語ともこみゃくは共創していきました。
引地
そうなんですよ。最近だと、僕が「こみゃくが大阪に残っていくといいんじゃないか?」と提案をしたら、みんながたこ焼きやグリコ、食い倒れ人形になったこみゃくを描いてどんどん増えていく。またそれに感化された人が三次的に新しいこみゃくをつくって枝分かれしていく。これが「大阪こみゃく化計画」として、こみゃくや万博のデザインを残して欲しいという市民の声が具体的な形で広がっているわけです。
コミュニティを育てる庭師の役割
引地
3つ目として構造的な話で「プロトコル」と呼んでるものです。ガイドラインみたいに統制的なものじゃなくて、細胞が自律的に増殖するように誰でも新しいこみゃくを生み出せる共通の概念みたいなもの。共通理解としてそれがあるといろんな人が触っていっても壊れない。ある程度雑に使っても強固な構造があると、枠を超えても「らしさ」が残っていくんですね。
荒井
「目玉があればなんでもこみゃくだよね」みたいなことですね。そういう認識が主流になれば、参加者同士が楽しんでその解釈を自由に広げていく感じが出ますよね。
引地
正解を一つに決めない、多様性の許容幅が広いっていうか。そういうことがムーブメントの連続性と、生態系的な広がりを作っていけると思うんですよね。4つ目が、いかに入り口のハードルを低くできるか。「丸3つさえ描ければこみゃく」だって繰り返し言うことで、子どもでも誰でも簡単に参加しやすくなるので、その状態をどう作るかっていう設計。そして最後に、僕の振る舞いも多分あると思うんですけど、それを歓迎する空気感の醸成です。
荒井
引地さんはまさにそのSNSでの丁寧で積極的な発信を通じて、濃密なコミュニティを作り上げていた印象です。そのあたりでweb3のムーブメントと通じるなと思うのが、web3的なコミュニティも大体歓迎から始まるんですよね。例えばNFTを受け取るためのウォレットを作ることってハードルが高いけれど、知識のある人が初心者をサポートしてくれるケースが多いですね。コミュニティに入ることやアクションすることに対して周りが称賛して、歓迎してくれるポジティブな空気がありました。
引地
称賛することはやはり大事ですね。心理的安全性というか、いい作品や面白いアイデアを見つけたら、みんなに紹介してお裾分けをするっていう。僕はよく自分を庭師の役割に例えますが、庭で取れた果物をみんなで分けようって周りと楽しむ、その空気をどうデザインするかはすごく大事ですね。
荒井
それが「SNS万博」と言われた所以の一つですよね。初期のtwitterって「今日は月が綺麗だよ」みたいなたわいのないことでもわいわいシェアし合ってたじゃないですか。こみゃくに関するやりとりは全体的に楽しくてポジティブなものが多く、あの時代の空気感が漂ってますよね。
引地
こみゃくのムーブメントが始まった時に「いいインターネットが帰ってきた」と皆さんが言ってましたね。僕も「そうだ、インターネットってこうだった」って思い出しました。若い頃に『ウェブ進化論』(梅田望夫・著)に影響を受けて、インターネットさえあれば社会は良くなるっていう理想に感動していたんですけど、一方で、つながるためのインターネットは分断の装置になってしまった。そこにすごい失望感を持っていたんですが、結果的に万博でそれが復活できるのではないかと思えた、なかなかエモい体験でしたね。
一貫性と多様性による「管理」から「循環型」への知財運用
荒井
そういった体験を残した万博が閉幕した後、こみゃくのような二次創作発のIP(知的財産)を世の中に浸透させていく過程では、権利の管理・運営にかなり高度なハンドリングが求められると思います。二次創作が生まれやすい環境を作ったときに、オリジナルの価値を守る仕組みがないと困ってしまいます。
引地
今回、勝手にこみゃくグッズを販売したり、問題になるような行動を起こした人がいなかったというのは「いいインターネット」だったから性善説的にできたことかもしれないですね。こみゃくは、実は明確に言えばグレーな存在ではあったんです。こみゃくという二次創作のガイドラインは公式には設けられていなかったわけなんですね。
それは、こみゃくというものがそもそも単なるデザインシステムの中の一つのエレメントだったからにすぎないからで、協会としてもここまで人気になるなんて想定できなかったからなんだろうと思います。グッズが少なかったのも、元々考えていたシナリオではなかったからだと思います。
ただ、今回は協会側もある種寛容にこの二次創作文化を見てくれていたのは素晴らしいことだったと思います。いつNGを出してもおかしくないところを、市民文化ということで良い意味での緩さがあったのが良かった。そして作者である僕を含めて歓迎する態度でポジティブな空気が育っていったことから、今回の二次創作のムーブメントに繋がったのだと思います。
荒井
その上でどうすると、今後数十年にわたって受け継がれるデザイン資産になっていくのでしょうか。引地さんが今見えていること、考えていることがあれば聞きたいです。
引地
今回のデザインシステムは、最初から「参加と共創」を促すプラットフォームとして構想しました。システムやポリシーの一番重要なところで余白を作って、こみゃくのもととなった「ID」が「GROUP」「WORLD」と徐々に拡張していくことを設計しています。IDというエレメントは最小単位の生命や細胞としての個人を象徴していて、それらが他者と出会うことでGROUPという共同体になり、生態系としてWORLDが生まれる。
万博では「共創」が大きなテーマだったので、できれば国や企業パビリオンともコラボレーションして、新しいエレメントを生成していくこともイメージしていました。「フランス館」や「住友館」や「よしもとwaraii myraii館」などとコラボしたらどんなこみゃくが生まれただろうとか、市民参加型の「TEAM EXPO 2025」プロジェクトでも独自に使われたらいいなと。元々そういったイメージがあって、その土台としてGROUPやWORLDを作りました。この土台の考え方と、実際に使ってもらうガイドライン的に先程の「プロトコル」があります。
荒井
そのデザインシステムなど土台のコアなところは、協会に納品された知財として管理運用され、それを踏まえて周辺をオープンにしていこうという試みですね。
引地
中心を「一貫性」として作る一方で、周辺のもの、みんなが作ってくれる二次創造は「多様性」です。参加と共創のフレームは一貫性と多様性の二重構造になっていて、この二重構造をそもそも内包しているのが、通常のデザインシステムのあり方とは違うところだと思います。
みんなが二次創作をしてくれる中で「こみゃくの二次創作ガイドラインを考えましょう」という話もあり得るのではないかと思います。実際問題としてここまでオープンに開かれてるわけなので、一度ある程度のガイドラインを作りましょうっていうことも検討していくのが良いのではと思いますね。
荒井
その中で協会から正式にこみゃくの商標出願がされています【注】が、ようやくスタート地点に立ったとも言えます。こみゃくのソフトレガシーの可能性として、法律家や建築家、編集者、行政や協会関係者など、立場の異なる人たちの間で議論を重ねてこられました。その一つとして、こみゃくの商標を「悪意ある第三者からきちんと守ろう」という動きが結実したようにも思えます。
引地
知財として協会がしっかりと管理しているのは、デザインシステムやミャクミャク、こみゃくといった中核となる部分です。一方で、企業や大規模なプロジェクトなど、明確にビジネス的な価値を生む場面では、ライセンスの使用許諾によって適切に収益が生まれる仕組みを整えていけるといいですね。
その外側には、二次創作のように「楽しむ」ことを起点とした表現や活動のための、意識的に開かれた領域を残していきたいと考えています。非営利での利用を基本としながらも、必ずしも「非営利だけ」に限定するのが最善だとは思っていません。こみゃくのような文化は、誰かの善意だけで支え続けられるものではなく、遊びと経済がゆるやかに混ざり合うことで、はじめて持続していく側面もあるからです。
重要なのは、営利か非営利かという単純な線引きではなく、その活動がどのような規模で行われ、どんな関係性を生み、そして生まれた価値がどこへ循環していくのかという点だと思っています。個人や小さなコミュニティによる表現や試みまでを一律に縛るのではなく、大きな収益や影響力を持つ活用については正式なライセンスや還元の仕組みを設ける。一方で、文化を育てるための小さな営利や実験的な取り組みは、こみゃくの生態系の一部としてできる限り開かれた状態を保ちたい。
そうした遊びや創造の積み重ねが循環し、文化として根付いていけば、結果的に中心にある知財の価値も高まっていくはずです。これは後付けの発想というより、最初からぼんやりと思い描いていた構造でもあり、今後はそれを「管理」ではなく「循環」の視点から、知財戦略として丁寧に設計していくことが重要だと思います。
【注】
2025年12月8日、公益社団法人2025年日本国際博覧会協会を出願人として「こみゃく」と「Co-MYAKU」の商標出願がなされた
こみゃくをソフトレガシーとして残していくために必要なこと
荒井
万博は期間も空間も限定されたイベントでした。そこで生まれたデザインシステムやコミュニティを、今後どのように実際の社会や地域の中で継続・発展させていく計画でしょうか。
引地
よくある限定コラボグッズをバーっと売りさばいていく形だと、瞬間的にはすごく盛り上がるんですが、それは人気を消費するだけになってしまいます。先日のデザイン展のトークイベントで話した「コモンズからコモニングへ」のような発想で、成長する土壌の中で文化を耕しながら、常に新しいエネルギーが生成され、盛り上がり続ける土壌と文化の生態系全体の循環性をどう設計できるかがポイントになると思っています。そのためには経済的にも文化的にも両立させないといけません。
例えばミャクミャクやこみゃくも含む万博のデザインシステム全体を、大阪のデザインシステムとして大阪中に展開し、広報・公共空間・観光・交通インフラまで統一していく。その一部としてグッズがあり、消費型から共創型の形に変えていって、新しい文化や利益が生まれたらそれをまた公共に戻す。公金で作ってきたこの公共のプロジェクトを、引き続き公共財としてみんなで育てていく。長い期間育て続けていって、より大きな運動の起点に万博があったとなれば、それは世界的にものすごい革新的な取り組みとなるでしょうし、大きなソフトレガシーと言えるのではないでしょうか?
荒井
今回のデザインシステムやこみゃくは一過性の納品物ではなく、みんなで作る共創の文化そのものとして考えた方が良いと。万博がその原点として、そこから生まれたものをもとに大阪や各地域の未来をみんなで作っていこうという、都市のブランド施策に活かすのは自然な考え方ですね。
引地
企業や自治体が共創の輪の中心だとしたら、さらにクリエイターとか市民も入れていく。共創の輪を広げて、コ・ブランディング(Co-Branding)型で大阪という街の価値を高めるために、企業や自治体や市民も一緒に参加していく。その関わりしろを作ることによって、全部税金だけで街作りしようとか、特定の代理店に任せて広報してもらおうという形ではなくて、市民とコラボレーションしながらできることをやる。
そうすることで、みんなで盛り上げていく「チーム大阪」の運動体のように広げていくことが可能だと思います。例えば「I♥NY」という伝説的な都市ブランディングがありますが、「OSAKA」を愛する人々にとってまさにあのような旗印になりうるのではないでしょうか。
それにはミャクミャクというキャラクターだけを残すだけでは難しく、やはり万博のデザインシステム全体を活用することで、グッズだけではない、より広範囲なインパクトと拡張性が生まれると思います。そこから生まれた収益が大阪のまちづくりや教育に還元されると、こんないい仕組みはないんじゃないかなって思っています。
オープンな社会実装と、次世代への継承のカギは「共有地」
荒井
これから様々な地域や公共イベントの場で、引地さんの万博での取り組みに続くような動きが出てくると思います。これまでの経験を踏まえて、次世代の人たちがこうしたクリエイティブな挑戦をしたくなる流れを作るために、何が必要だと思いますか?
引地
これまでに語ったようなオープンデザインや収益が循環される仕組みを整えることはもちろん、公共系の仕事に関わるクリエイターにとって、身を切るような思いをしないで済むものになってほしいですね。例えば、公共のロゴやキャラクター制作などの案件の多くは「買い切り」スタイルで、すべての知財を渡すことが求められますが、果たしてそれがよいことなのか? もしグッズが大きく売れたら一次創作者に還元されることもあってもよいのではと思います。
今回の万博の公募での報酬はロゴが300万円(別途、関連作業費で200万円)、キャラクターは100万円、デザインシステム開発が約998万円とされてます。デザインシステムは、金額だけを見るとこの中では高く感じられるかもしれません。しかし実際には、検討する内容や展開領域、納品までの打ち合わせ回数、納品データの量、関わる人の数など、いずれも桁違いに多い仕事です。そうした作業量や全体への影響を踏まえると、標準的な相場を把握している方であれば、決して高い金額ではないことはご理解いただけると思います。
グッズやライセンスで生まれた収益やPRに対する貢献度からすると、制作側の対価は割合的に些少な金額設定になっているわけです。納品したらあとは一円も入ってきませんという状態で、現場のクリエイターの目線からするとアンフェアだと感じる契約であることは、発注する公共側の人たちも知ってほしいです。
公共事業に関わったときのバランスを正して、透明性を持ったアクションができるようにしたい。せめて段階的なロイヤリティを設定するとか、頑張った分が何らかの形で還元されるような仕組みを考えていくべきじゃないかなと。
荒井
公共の仕事に関わるクリエイターや中小企業にとって見直されるべき契約や権利保持のあり方はまだまだ議論の余地が多いと思います。その上で今回のデザインシステムやオープンデザインの手法を適切に取り入れる際の第一歩として、どのような実践をされる予定ですか。
引地
いま振り返って改めて感じているのは、今回の万博のレガシーは、国家と市民、制度と文化、公式と非公式、リアルとデジタルなど様々な間(あわい)に「開かれた共有地」が生まれた事だと思っています。SNS万博と呼ばれ、国家や公式からだけでは足りないところを市民が補い共有することで、それまでのネガティブな空気をみんなで変えられた。そのことはこれからの公共の希望だと思います。「こみゃく」はその象徴のひとつとして、みんなでつくり、生きもののように育った文化としての生態系でした。
こうした経験を通して強く感じているのは、この共創の文化や「開かれた共有地」を一過性のイベントの中だけで終わらせてはならない、ということです。万博での実験を継承し、アクションを続けながら社会実装へとつなげていくための共有地をつくり、万博以後─POST2025へと引き継いでいくこと。実験を「実装」へと動かしていくことが、いま重要だと考えています。
この万博で生まれた「開かれた共有地」を、次の世代や社会へと手渡していかなければならない。そうした思いが、日に日に強くなっていきました。そのために立ち上げようとしているのが、一般社団法人「COMMONs(コモンズ)」です。
Co-Futures Platform「COMMONs」は、人類の多様な未来像(Futures)を、共創(Co-)によってかたちにしていくためのオープンプラットフォームとして構想しています。トップダウンでもボトムアップでもなく、そのあいだに生まれ、さまざまなアイデアや実践が交差し、育っていく「開かれた共有地」を、現実の社会の中で社会実装していく試みです。
COMMONsが掲げる「Commons of Visions」は、未来像を語るための理念にとどまるものではなく、複数の未来(Visions)を社会、文化、制度といった現場へと実際に接続し、実装していくためにこそ必要な考え方だと思っています。いまの社会は課題が複雑に絡み合い、ひとつの専門性や立場だけでは答えを見つけることが難しい時代に入っています。デザイナーやクリエイターだけでなく、研究者、アーティスト、起業家、弁護士、行政、政治など、異なる専門性を持つ人たちが分野を越えて関わり合い、未来のあり方を構想し、実際に試していく場が必要になっています。
COMMONsの特徴は、Lab(研究)、Project(活動)、College(教育)、Studio(実装)、Capital(投資)という5つの機能を分断せず、相互に連動させている点にあります。研究、活動、教育、実装、投資がそれぞれ独立して進むのではなく、常に影響し合いながら循環することで、複数の未来像を社会の中に立ち上げていく。COMMONsは、創造性がインフラのように社会に循環するエコシステムを目指しています。
荒井
今年1月の引地さんのnote記事でも「COMMONs」について発信されていましたね。その第一弾プロジェクトは「POST2025」として、万博以後の社会のあり方を考えていくということもあわせて書かれていました。
引地
実はこの構想は万博開幕以前から考えていたもので、当初はひとつのプロジェクトとして構想していました。こみゃくを通じたOPEN DESIGNの取り組みや、参加と共創、そしてソフトレガシーを多様な人たちとの対話から考えていく一連の活動は、根底でこのCOMMONsの思想とつながっています。
万博期間を通じて共創文化が育ち「開かれた共有地」が立ち上がったことを受けて、この構想をきちんと組織化し、実際に動かしていくべきだと改めて思うようになりました。万博とオリンピックというこれまで関わってきた二つの国家的プロジェクトを通して強く感じたのは、創造と制度、そして社会のあいだにはまだ大きな溝があるということです。簡単に言えば、プロトコルが揃っていない。
制度、市民、そしてクリエイターによる創造。それぞれが悪いわけではないのに、どう関わり合い、どう意思決定し、どう価値を共有していくのかという設計がまだ十分に整っていない。そこに強い違和感がありました。これからの社会において「制度」と「創造性」の関係をどう設計し直せるのか。万博を経験する中で、その問いがずっと頭の中にありました。
これまでクリエイターは制度設計の領域に積極的に関わってきたとは言いがたいと思います。多くの場合、制度は行政や組織に任せ、その外側で表現や制作を行ってきた。でも、それで本当に良かったのだろうかという疑問が、いま強くあります。もちろんクリエイターだけで制度を作れるとは思っていません。だからこそ、行政の人、研究者、起業家、弁護士や弁理士など、さまざまな専門性を持つ人たちと一緒に、いま噛み合っていないプロトコルをどう揃えていくのか、どんな新しい社会のつくり方があり得るのかを、実践を通じて考えていきたい。
答えを示すというよりも、問いに向き合い続けられる「場」や「プロジェクト」を作ること。それこそが、これから自分がやるべきことなのだと思っています。振り返ってみると、オリンピックや万博という巨大な公共プロジェクトに関わってきたことも、後から意味づけされる自分の運命や宿命だったのかもしれません。この経験を個人のキャリアで終わらせるのではなく、次の社会にどう手渡していけるのかを真剣に考え続けたいと思っています。
これからの日本は、国家や公的機関だけのリソースで社会を支えることがますます難しくなっていくでしょう。そこでは人々が能動的に参加し、共創できる「場」をどうデザインするかが、これからの公共の鍵になります。この「関わりしろ」や「余白」を意図的に設計し、参加と共創を促す考え方は万博に限らず、教育、まちづくり、行政、企業組織などあらゆる社会領域に応用できる、新しい公共デザインのあり方です。
分断のあわいに生まれたこの「開かれた共有地」を、誰もが問い、関わり、共につくり続けられる場として守り、発展させ、制度の中に創造的に組み込んでいくこと。それが、今回の万博から引き継ぐべきレガシーであり、僕ら世代の責任だと思っています。万博は「終わり」ではなく「はじまり」です。時計の針を、決して巻き戻させないように。
荒井
僕らも知財図鑑というメディアを通じて、世の中にある面白い知財をもっとオープンにすることで、何か新しい化学反応が起こるんじゃないかというアプローチをとってきました。今回、引地さんの発信でこみゃくやデザインシステムを知ったとき、まさにこれは知財に関する新しい波が起きていると思いました。
普通は改変禁止のはずのロゴやデザインの決め事が意識的に開かれていて、一部自由な開放区みたいなところで参加者が集まってワイワイやってる感じが、見ていてめちゃくちゃ面白かったんですよね。しかもこの規模でそんなことができるんだっていう大きな前例になったと思います。様々な業界からの支援者が多く出てきたことも得難い収穫だと思いますので、万博以降も続くソフトレガシーとして、脈々と循環する取り組みになることを期待しています。
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