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2026.09.25

コラム

『フューチャーズ・リテラシー/未来という難問を解く』を読んで希望が持てた話。|出村光世

『フューチャーズ・リテラシー/未来という難問を解く』を読んで希望が持てた話。|出村光世

WIRED 日本版編集長の松島倫明さん、初の単著『フューチャーズ・リテラシー/未来という難問を解く』を先日のWIRED Futures Conference 2026の先行販売で手にした。早速読んでみたけど、希望を与えてもらえる一冊だった。内容は実に充実しているので、ぜひ手に取って、しっかりと時間と脳のスペースに余裕を持って向き合って欲しい(そこはWIREDを読む時の心構えと同じ笑)。

引用元:https://amzn.to/4yjMMCc

まず、あとがきが印象的だった。

こうして一冊の本に編んだのは著者自身ですが、そこに潤沢で多元的な調べが聴こえてくるとしたら、それはすべて、未来という難題に挑んできた先人たちが奏でてきたものです。ぼく自身は生粋の編集者らしく、DJならぬテキストジョッキーとして、まるで潜在空間のホワイトスペースを探り当てるように言葉を集め、"未来を解く"ための究極のブックガイドをつくるつもりで本書を編み上げました。

本当にこの通りの印象で、膨大な参考文献から引用された言葉が編み直され、読み手として新たな見方を獲得していく。情報の濃密さに立ち止まることも多いが、そのぶんビビッドな知的興奮に遭遇するような面白い体験だった。

壮大な情報量なので、総括的な批評を書くような気分にはなれなかったけど、なぜ僕が勇気をもらえたのかという観点で、率直な感想を新鮮なうちに残しておこうと思う。

Good Singularity

僕は普段「Good Singularity」という合言葉で、仲間や取引先企業と一緒に、いい未来が早く訪れるように、未来の視点を持って体験や事業を発明するような仕事をしている。(もしよければこちらの記事を参照ください)

この「Good Singularity」はおかげさまでとても反響がよく、特に海外からのウケがいい。この言葉をきっかけに始まったプロジェクトもいくつかある。だから僕はこの言葉を気に入っているし、それに取り組むことの良さを信じている。

じつは一方で、心の中に不安もあった。「シンギュラリティはもうすぐ来る、なんなら現在進行形で来ている」という確かな実感があるからこそ、「シンギュラリティが来てしまったら、僕たちのミッションは期限を迎えてしまうのではないか?」と思えてしまったのだ。

実際はシンギュラリティが訪れても、テクノロジーとの共生は大きなテーマとして存在するし、暇になることはないだろうとタカをくくってはいるものの、「Good Singularity」という合言葉を語る機会が減るのは寂しいなと漠然と考えていた。

端的にまとめると、この本を読んで「Good Singularity」の賞味期限は来ないと考えるようになった。むしろ、もっと重要になる発想だと感じた。

少し複雑な話になるかもしれないけど、なるべく簡潔に説明してみる。

シンギュラリティ

「シンギュラリティ」は、人工知能が人間の能力を上回る時点、つまり「技術的特異点」を指す言葉として語られるのが一般的だ。しかし本書では、人類はこれまでにも何度も技術的な特異点を経験してきたと語られていて、この話が大きく視野を広げてくれた。

たとえば、人類の祖先が火の使い方を体得したことによって、調理が可能になり、消化に必要なカロリーが減り、腸が短くて済むようになり、脳にカロリーを回すことができるようになり、脳が大きくなったことでホモ・サピエンスの進化が加速した。これは、人類が遭遇した初めてのシンギュラリティだったかもしれない。

その後も文字が発明されたことや、出版技術が発明されたことで、人類史は大きく角度を変えてきた。

AIが知能として人間よりも優位性を持つようになることは、長い目で見ればいくつかのシンギュラリティの一つに数えられることかもしれない。

プルラリティ

「多元的」と解釈されるプルラリティというワードは、「単一的」と解釈されるシンギュラリティと対比的な意味に位置付けられている。
すごく雑に言えば、人間も自然も複雑な存在だし、一つの最適解に収束する姿勢じゃなくて、その複雑性を受け入れて生きていこうよ、というトーンが感じられる言葉。

オードリー・タンとグレン・ワイルは共著『PLURALITY』で、プルラリティを「社会的差異を超えたコラボレーションのための技術」と説明している。AIによるシンギュラリティで、これまで一部の人の特権だった技術が解放されれば、誰もが社会やプロジェクトに参加でき、そこかしこでコラボレーションが生まれていく。その様子を想像するのは難しくない。

もともと複雑な世界だけど、シンギュラリティが訪れることで、人と人、人とAI、AIとAIのコラボレーションによって、さらに多元的な未来が生まれる。試行錯誤の数もスピードも、指数関数的に向上していくと、さらなるシンギュラリティが訪れる未来もそう遠くないように感じる。

そんなことを考えていると、「Good Singularity」という合言葉の賞味期限はきっと来ないんじゃないか、とすら思えてきて、なんだか嬉しくなった。

テクニウム

WIREDの創刊編集長ケヴィン・ケリーが、著書『テクニウム』で提示したコンセプト。

ケヴィンは生命を「自己生成する情報システム」と定義した上で、テクノロジーも自己生成可能な情報システムであり、この地球上に生命が誕生して人類が進化してきたようにテクノロジーもまた、生物の第七界として生命と同じように進化してきたと考えます(ここでテクノロジーとはハードウェアだけでなく、あらゆる種類の文化、アート、社会組織、知的創造のすべてを含みます)
第3部

これは「AIが意識をもって自律的に動くようになる」といった類の狭い話ではなく、テクノロジーそのものが進化する生き物のように関連しあって創発されるような考え方。テクノロジーや知性には進化の構造的必然性があり、細菌界・古細菌界・原生生物界・菌界・植物界・動物界とおなじようにテクノロジー界に分類してもおかしくないんじゃないかという、一見へんてこな発想かもしれないけど、僕はこの話が好き。

例として挙げられていたのが、グラハム・ベルが電話の特許を出願したのとほぼ同時期に、エリシャ・グレイら他の開発者も電話に相当する技術を発明していたという有名な話だ。そこに至るまでになされてきた発明がドミノ倒しになって、世界の中で同時多発的に同じベクトルの研究がなされていたって考えると、なんだか人体とか生態系みたいでロマンがある。技術の進歩が他の技術の進歩を促しながら、世界中で関連しあって蠢いていく、そんな生命感を覚える。

未来に参加する

これまで積み重ねてきた過去の行動や、現在の行動が未来に影響を与えるという感覚は、誰しもが持っていると思う。逆に、ある未来を想像することで現在の行動が変化する、つまり未来が現在に影響するということも納得感がある。さらには「未来がこうなるなら、あの時のあの決定はミスではなくナイスだった」というように未来が過去に影響するという拡張も理解ができる。

昨今のビジネス用語で再解釈するなら、「フォアキャスト」によっていい未来が想像できたら、それを北極星にして「バックキャスト」で計画を立て、ヒト・モノ・カネを調達しながら進んでいく感覚に近いと思う。(拙著『妄想と具現』の中で"DUAL-CAST"という手法を提示しているが、まさにそれと同じベクトルの考え方)

つまり私たちには「どんな未来づくりに参加したいのか」を能動的に考える楽しみが与えられていることに改めて気付かされる。パンデミックによってできた余暇で、多くの新しいアイデアが生まれ、収束後に大成功を収めている事例も少なくない(僕が大好きなSANUとか)。
AIによってできた時間、そしてAIによって拡張される力によって、きっと昭和や平成に想像されていた未来とは全く違う未来を妄想できるはず。そこから多元的な未来の形(Futures)が見えて、さまざまなプロジェクトが立ち上がると思うとワクワクが止まらない…それがきっと、シンギュラリティが生むプルラリティの素敵な形だと思う。

というわけで『フューチャーズ・リテラシー/未来という難問を解く』という本は、未来への希望につながるゲートのような一冊だった。


これを読んだ人、特に僕の子供世代や中高生、「ギュられる」(シンギュラリティによってAIに仕事を奪われる)と慌てている就活生なんかと雑談がしたいな。読んだ方、ぜひ対話をしましょう。

FUTURES LITERACY(フューチャーズ・リテラシー):未来という難問を解く を読む

引用元:https://amzn.to/3PYR9hL

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