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2021.04.15
インタビュー | 増田 直記
水槽から広がる新しい共生の世界。イノカのチーフアクアリストが描く未来の生態系とは?
株式会社 イノカ
「CAO:Chief Aquarium Officer(最高アクアリウム責任者)」— その肩書きを、初めて耳にする人も多いのではないだろうか。「環境移送企業」と銘打つ株式会社イノカでCAOを務めるのは、同社取締役の増田直記氏。事業として水槽の設計・維持・管理を行い、自身の自宅にも巨大水槽を持つ、まさに水中の生態系のプロフェッショナル。彼のオリジナリティの原点や、CAOとして目指す同社の事業の未来とは? イノカの事業の根幹と、彼が独自に構築した比類ない”知財”とその原点に迫った。
「環境移送技術」を研究するイノカとは?
—イノカのビジョンや具体的な事業内容についてお伺いさせてください。
増田
イノカは、独自のノウハウとIoTやAI技術を組み合わせて生態系を陸上に再現する「環境移送技術」の研究開発と、その推進を行うスタートアップ企業です。人工的に再現されたサンゴ礁の生態系である「人工サンゴ礁」の技術を持っており、サンゴ礁の飼育技術の研究や、水槽を設置する際の提案や設計・管理などを担っています。また、設置した水槽を活用した教育事業なども展開しているほか、自社内研究も積極的に行っており、社内でサンゴの人口産卵を目指す取り組みを行うなど、海洋生態系の幅広い研究全般を事業としています。その中で私はサンゴ礁飼育技術をもつ「チーフアクアリスト」として、事業の推進を行っています。
会社の研究の題材としてサンゴを取り上げることが多い理由は、サンゴ礁の生態系の豊富さゆえ、サンゴを守ることでそこに住む多くの生き物を守ることに繋がるからです。サンゴを題材にすることで、一つの種を守るだけではなく、もっと大きなものを守れる可能性があると思います。
—イノカの「チーフアクアリスト」である増田さんはどのようなお仕事を担当されているのでしょうか?
増田
水槽の管理や調整を専門として、自分がこれまで培ったノウハウを生かした研究や新規事業の開発をしています。水槽の管理というとあまりピンとこないかもしれないのですが、水槽の中に配置する岩やサンゴがありますよね。それらをただ水槽の中に入れれば良いわけではなく、どんなレイアウトで入れたらうまく育つのか、このサンゴを入れるならこの魚をセットで入れたほうが良いかなど、水槽の中の「生態系の設計」も行っています。
水槽によって入れるべき生き物は変わるので水槽内のバクテリアバランス、藻類のパワーバランスなど、その時々の生態系を見ながら調整していきます。例えるなら「スタジアムの座席」をイメージしてもらうとわかりやすいかもしれません。多くの座席にサンゴを座らせれば、サンゴにとっては優位な環境をつくることができますが、空席が多いと藻類が多く座ってしまいパワーバランスが藻類に傾いてしまうことがあります。その場合は、藻類を食べてくれるような生き物を水槽内に導入し、サンゴにとって優位な環境を作ってあげたりするわけです。
当初予定していなかった生物が生まれるなど、予想通りに行かないことばかりなので日々が実験です。見たこともない藻類が現れた時、それを食べてくれる生き物を入れてみますが、それが何匹で食べれるのか、どれくらいのスピードで食べるのかも未知数です。あっという間に藻類を食べてしまったのであれば、今度はその藻類を食べる生き物が餓死してしまったりするので、生き物の数を調整してみたり、その繰り返しです。現状では数値化することが難しいことも多いのですが、自分や社内に知見を溜めていっているところです。
―そのノウハウがまさにイノカの「知財」であり、他社の真似できないオリジナリティだと思います。その知見を今後どう活用し広げたいと考えていますか?
増田
AIやIoTを活用した広がりはまだまだ可能性があると思います。具体的には、サンゴの産卵のために沖縄の海水温を閉鎖環境である水槽に自動反映させたりするなどがあげられます。人間が頑張っても実現できないことを、IoTの力を使ってできる余地がまだまだあるなと思います。正直、試行錯誤を続けているのが現状で、社員が何か知りたいときは、検索するより私に聞いた方が確度の高い答えが返ってくると言われることもあります。なので、私の頭の中にある知見をデータ化して運用したり、管理できるシステムなどを作りたくて。最終的には自分を超えて、他の研究者の方々やアクアリストの力を使ってアップデートできるプラットフォームを作りたいと考えています。
人と自然が共生する世界へ、次世代のための教育事業
—現在の事業の中で、特に増田さんが注力したいと思う点はどのような点でしょうか。
増田
イノカは「人と自然が、100年先も共生できる世界を創る」をビジョンとしています。その目指す世界を実現するための取り組みとして、私自身としては特に教育事業に力を入れたいと思っていて、「0を1にする」、つまり「今まで知らなかったことをまず知ってもらう」ために試行錯誤しています。人は、知らないことには一生懸命にはなれないのは当たり前のこと。まずは自分で体験してもらい、新しい世界を知ってもらうことを大切にしています。
実際にそのパワーを実感したのは「三井アウトレットパーク 横浜ベイサイド」で実施した「よこはまサンゴ礁ラボ」というイベントです。体験型環境教育プログラムとして、子どもたちと空っぽの水槽からサンゴ礁の海を作り上げていくというイベントなのですが、子どもたちの想像力とそれを応用する力が予想をはるかに超えるものだったんです。「サンゴについて、他の人がどれくらい知ってるのか聞いてみよう」という投げかけを行ったところ、率先してクラスの子にアンケートをとった子がいたり、我々も驚くぐらいのリアクションがありました。「0が1になる」ことで起きることの凄さを実感した瞬間でした。
またそれは子どもたちだけではなく、大人も企業も同じだと思うんです。知らないことを知ってもらうだけで、行動を変えることができます。実際に生き物に触れて自分が可愛がっている魚がいたら、その魚にプラスチックは食べさせられないですよね。そういう気付きから「じゃあコンビニで袋をもらうのをやめようかな」という意識につながるのだと思います。
—事業内容を伺えば伺うほど、視点の広さや可能性を感じます。会社として大切にしていることや、それらを実現するために必要なことはどのような点だと思いますか。
増田
イノカでは社としての野望やビジョンを持つことを大切にしていて、つい最近、役員陣の合宿をして、気が付いたらものすごい時間が経っていたこともありました(笑)。社員に対しても「この仕事を通してどうしたいのか」ということを常に問うようにしています。
「環境移送企業」を目指すイノカが実現したいことを自分たちだけでやるには限界があるので、協働するプロフェッショナルの方々の存在も必要不可欠だと思っています。環境を再現する上で大切なステップはまず「モニタリング」、つまり知ることです。その生き物が自然界で何を食べてどんな生活をしていて、どのように増えていくのかということを観察を通じて知ることで、水槽内でも同じことを再現できるようになります。モニタリングのためのドローンや水質調査の測定器、そのほか生態系を理解するためのあらゆるテクノロジーなど、当社だけでは不可能なことをパートナーの方々と一緒に実現していきたいです。単なる環境保全に走るのではなく、より「ドライブ」できるように、環境の発展や広がりにつながる取り組みに繋げたいと思っています。
—生態系に強い想いをもつ増田さんの、ご自身の持つ視点や興味ある事柄を深く掘り下げる強い好奇心はどのように培われたのでしょうか?
増田
私の原点は、中学校の理科の先生だった祖父の存在を抜きにしては語れません。両親は共働きだったので、祖父母とともに過ごすことが多かったのですが、物心ついた頃から生き物が大好きで、網とバケツを持って一日中走り回っていた記憶ばかりが思い出されます。祖父たちにそんな自分を受け入れてもらっていたように思います。水槽が好きな理由は、小さい頃にドラえもんの映画『のび太の創世日記』がとても好きだったことにも由来するかもしれません。種を巻いて、植えて、進化していく。地球を創っていくようなストーリーは、今自分の行っている活動に近いものを感じています。
その中で、成長するにつれて感じた違和感もありました。生き物が好きな人たちが、生き物に関する仕事をしたいと考えた時、たとえ動物園などに就職しても自分の好きな生き物たちを彼らが満足できるように飼育できないというジレンマに陥る可能性があるんです。当初は、それなら自分は趣味の範囲で満足して飼育しよう、と考えていたんですね。
そのため社会人になった当初は、生き物には関係のない鋳型の職人として働いていました。ものづくりが好きだったこともあり、何かやり込める、極められるような仕事が良かったんです。ところが10年ほど経った頃、会社の業績が悪くなるなど様々な状況が重なる中、自分自身も精神的なバランスを崩してしまいました。その中でふと「今の仕事で身を滅ぼすなら、別の仕事をしてもいいのでは」と思うようになり、模索し始めたところ、会社を立ち上げる前の現イノカの代表の高倉と会うタイミングがありました。
高倉は水槽を題材にした会社を立ち上げようとしていて「すごいことをやろうとしている人がいるな」と驚きました。その頃には自宅にも大きな水槽があったので、個人的にも既にやっていることなら仕事としてやってみようと。それで前の仕事をやめて、一回人生が終わったような気持ちで好きなことをやろうと始めたのが、今の活動のきっかけです。本当に、全てがタイミングだと思っています。
イノカが思い描く、100年後の理想の生態系
―自分にしかできない仕事を見つけることや、興味関心を持ち続けるための秘訣があればぜひ教えてください。
増田
自分自身では、それが「すげー!」「楽しい」と思えるかどうかを常に自分に問いかけることだと思っています。好きでなければ他の人に勝てないし、目を向けられない。そして小さな違いに気づくことも難しいので、結果として欲しい力が出せないように思います。
また自分の経験から、「生き物が好き」という人が注力できる仕事を作りたいとも思っています。今は魚やサンゴなどを中心に仕事をしていますが、この先会社を大きくすることができれば、それぞれ個別の生き物にフォーカスを当てた研究ができるようになるはずです。そうするともっとマニアックな題材になっていってその生き物に特化したそれぞれの人材が必要になる。そういう人材を見つけられる仕組みも必要かもしれませんし、その人たちが好きで続けられるまた別の仕事を作っていく必要もあるかもしれません。
―イノカの事業は地球で生きる全ての人に関わる内容だと思います。「もっと社会の考え方がこうなってほしい」「人々にこんなビジョンを持ってほしい」と思う事があればお聞かせください。
増田
今はコロナ禍でオンラインを通じて世界を見ることが多くなりましたが、それも踏まえて現実にある「自然」を強く認識してもらえたらと思います。決して田舎に住めばいいという事ではなく、都会に住んでいてもそこにある自然を認識できていない人もいると思います。人間として忘れがちなのは、自分たちも自然の一部ということ。自然といっても多種多様な生態系で構成されているので、一つ一つの役割があって面白さがある、そして自分たちもその一部だということを認識することが大切だと思います。知ることで新しい世界が広がり面白さが増える、「0が1になる」ということをもっと実現していきたいです。
今50〜60歳の人が、「昔の石垣島のサンゴはカラフルで綺麗だったんだよ」と教えてくれたとしても、自分たちがもう見れなかったら悲しいですよね。そうならないためにも、まずは現状を知ってもらうことが何よりの一歩ですし、それを実現したいと思います。
―100年後の未来で、ご自身の研究成果がどのような形になっていると理想的だと思いますか? 会社と個人の視点で教えてください。
増田
100年後だとさすがに自分が生きていないと思うので、70年後くらいをイメージしてもいいですか(笑)?その頃には地球上の全ての生態系や種が網羅的に解明されていて、構築やコントロールもできる状態ができていたらいいなと思いますね。
イノカは、”地球の医者”になることを目指しています。今現在、犬や猫の病院はありますが魚については専門の病院がなく、それぞれの種類ごとに何を食べてるかといった生態も実は完全に把握できていない状況です。そこを解明し、生態系をより良くしていきたいという思いがあります。代表の言葉を借りれば「地球を海洋と見立てた時に、海の水が人間で言う血液である」ということです。イノカは「環境移送」の力を使って技術を使って地球を良くしていきたいという思いがあり、自分自身のノウハウや知見でそれを引っ張っていきたいと思います。
最後に個人的な野望も言うならば、地球外にも生態系を構築してみたいですね。映画『ジュラシックパーク』の延長のような「ジュラシックスペース」とでもいうのでしょうか。絶滅した生物種も含めて、生命のない惑星で生態系を再現できたらと。私の原点のお話でも触れましたが、“生物の進化を見る”ことに興味があります。自分の好奇心には嘘をつけないので、知りたいもの・見たいものを追い求めながら、より高い次元で自然を認識して、先の世代にも働きかけることができたらいいなと思います。
イノカの「人工サンゴ礁」の技術をもとに知財図鑑が妄想した“地球生態コロニー・タワー”。増田氏の目指す生態系が再現された世界を、シンボリックに表現している(知財図鑑記事より)
Text:大久保真衣