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2026.06.05
インタビュー | 新井 平伊
人生100年時代、認知症とどう付き合うか? 新薬とテクノロジーが変える「脳のライフプランニング」
塩野義製薬 株式会社, Pixie Dust Technologies, Inc.

人生100年時代を迎え、心身の健康はこれまで以上に私たちの関心事となっている。食事や睡眠、適度な運動といった生活習慣の見直しが浸透する一方で、「脳の健康」については、まだどこか遠い未来の話として捉えられがちだ。身体の変化に比べ、脳の変化は見えにくく、何をすれば良いかイメージも持ちづらい。そうした背景もあり、国内で65歳以上の4人に1人が向き合う認知症は、長らく「一度なってしまったら、どうすることもできない病」として語られてきた。
しかし今、医療とテクノロジーの進展によって、その前提は大きく変わり始めている。発症してから対処するのではなく、発症前の段階からリスクを予見し、生活の中で能動的に備えていくものへと移行しつつあるのだ。
特に認知症の主因であるアルツハイマー病に対しては、原因物質に直接アプローチする新薬の登場に加え、発症リスクを早期から捉える検査技術、さらには40Hz音刺激をはじめとする聴覚刺激研究など、新たなアプローチが次々と生まれている。認知症は、ただ恐れるだけの病ではなく、長い人生を自分らしく生き続けるために、早い段階から自分なりの向き合い方を設計すべき対象へと姿を変えている。
1999年に全国初の「若年性アルツハイマー専門外来」を立ち上げ、研究・臨床の第一線を走り続けるアルツクリニック東京院長の新井平伊(あらい・へいい)氏は、発症前からリスクを予見し、40代から「脳のライフプランニング」を始める重要性を説く。医学とテクノロジーが交差する予防の最前線と、健やかな未来のために今できることを訊いた。
認知症は、誰にとっても他人事ではない
——日本における認知症の患者数や、対象となる年齢層の現状を教えてください。
新井
超高齢社会の進行に伴い、認知症の人、そしてその前段階である予備群(MCI:軽度認知障害)の人を合わせると、国内で約1,000万人にのぼります。特に65歳以上の年代では、4人に1人がその対象となる計算です。
全国的な調査を見ても、認知症、特にアルツハイマー病に対する関心や不安を抱える方は増えています。認知症という言葉が広く知られるようになり、多くの方が将来のリスクをより身近な問題として捉えるようになったのだと思います。
——先生のクリニックでも、そうした不安を感じて来院される方は増えていますか?
新井
そうですね。私は1999年に順天堂大学で全国初の「若年性アルツハイマー病」専門外来を立ち上げましたが、当時から現在に至るまで、40代・50代で心配されて来られる方は少なくありません。早期発見を望む流れは定着しており、その背景には「周囲に迷惑をかけたくない」という切実な思いが共通しています。
——高齢者世代に限らず、社会や家庭の柱である世代にとっても、認知症は決して遠い話ではないのですね。
新井
その通りです。どんな病気も「いかに早い段階でリスクを認識できるか」が重要ですが、働き盛りである40代・50代への啓発や支援は、まだ十分とは言えません。
特にこの世代で発症した場合、住宅ローンや教育費といった経済的な負担も大きく、本来は社会全体で手厚く支えるべき層です。現在、国も若年性認知症コーディネーターの配置や仕事との両立支援などを進めていますが、個人としても、若いうちから地域の相談窓口や当事者コミュニティの存在を知っておくだけで、安心感は大きく変わるはずです。
発症前から備える。新薬が変えた認知症医療
——そもそも、認知症はどのようなメカニズムで起こるのでしょうか?
新井
まず整理しておきたいのは、認知症はひとつの「病名」ではなく、認知機能が低下し、社会生活に支障をきたしている「状態」を指す言葉だということです。「熱がある」ことの原因にインフルエンザや肺炎など様々な病気があるように、認知症を引き起こす原因もひとつではありません。その中で、約7割を占めているのが「アルツハイマー病」です。
——アルツハイマー病などの疾患によって、認知症が引き起こされるのですね。
新井
アルツハイマー病の発症には、脳内に「アミロイドβ」というタンパク質が蓄積することが深く関わっています。本来は分解・排出されるはずの物質ですが、何らかの理由で脳内に溜まり、塊を形成して神経細胞にダメージを与える。それによって脳が萎縮し、結果として認知症の症状が現れていきます。
これまでは、認知症が発症した後に、記憶に関係する脳内物質の減少を抑える対症療法が中心でした。しかし2023年以降に登場した新薬は、脳内に蓄積したアミロイドβそのものに働きかけて減少させる、いわば原因に直接アプローチする薬です。さらにこの薬は、認知症と診断される一歩手前のMCI(軽度認知障害)の段階から使用できる点が、医学的に非常に大きな変化を生みました。
——アルツハイマー病の原因となる物質を取り除けるようになったことで、発症前から対策する重要性も高まっているのですね。
新井
現在ではアミロイドPET検査によって、アルツハイマー病を発症する前から、脳内にアミロイドβが溜まっているかを調べられるようになりました。アミロイドβは、認知症を発症する20年以上前から脳内に蓄積し始めることが分かっています。つまり、症状が出る前の段階から、将来のリスクをある程度「予見」できるようになってきているのです。
もちろん、蓄積したアミロイドβを除去すれば、低下した脳機能がすべて元通りになるという単純な話ではありません。ダメージを受けた神経細胞を完全に元に戻すことは難しいため、発見や対策は早ければ早いほど良いことは間違いありません。
——検査と対策が可能になった今、早期発見や予防の価値も大きく変わっていきそうです。
新井
ええ。認知症との付き合い方は、これまでの「早期発見・早期治療」から、今は「早期予見・早期予防」の時代に入りつつあります。つまり、症状が出てから見つけるのではなく、発症前の段階でリスクを予見し、それに応じた対策を取ることです。
具体的には、高血圧や糖尿病、脂質異常症といった生活習慣病を適切に管理すること。そして、運動、食事、睡眠を整えることです。特に運動不足や睡眠不足は、アミロイドβを増やす要因になることが分かっています。こうした生活習慣の改善と、必要に応じた新薬による治療を組み合わせることで、これまでは難しかった「発症そのものを遅らせる」ための具体的な対策が取れるようになりました。そこが、現在の認知症医療における最大の変化だと思います。
感覚刺激とテクノロジーが広げる「予防」の可能性
——日常生活の中で、私たちはどのように予防へ取り組めば良いのでしょうか?
新井
まず大前提として、人間は社会的な存在ですから、人と交流し、仕事や家事、趣味や仲間との活動を続けることがとても重要です。その中で、聴力や視力といった感覚機能を維持することも欠かせません。感覚機能が低下すると、脳に入る情報量そのものが減ってしまうため、脳を適切に活動させるには、五感を通じて正しい情報を入力し続けることが大切です。
新井
そうした感覚刺激の分野で、近年特に注目されているのが、マサチューセッツ工科大学(MIT)が発表した「40Hzの音刺激」に関する研究です。これまでの脳波研究は、外から脳の状態を観測することが中心でした。しかしこの研究は、特定の周波数で外から刺激を与えることで脳内の神経細胞が反応し、知的活動時に見られる「ガンマ波」を引き出せることを示しています。
——薬の利用などではなく、外からの聴覚刺激によって脳の活動を引き出すのは、あまり聞いたことのない方法です。
新井
これまでの脳波研究とは逆方向のアプローチであり、大きな転換点と言えます。特定の周波数が神経細胞の活動に深く関与していることを見出した点が、この研究の大きな発見です。 動物実験ではアミロイドβの減少や炎症の抑制といった結果も報告されています。将来的には、こうした刺激を予防的に用いる方法が発展するかもしれません。
——適度な運動や聴覚刺激など、日常の中にある要素も、認知症予防につながる可能性があるのですね。
新井
その通りです。医療による治療という領域は守りつつも、予防の段階であれば様々な技術や業種が介入できる余地があります。そこには、AIやビッグデータといった新しい技術も大いに活用されるでしょう。
たとえばアルツハイマー病では、話し方のテンポや表情、歩き方といった日常的な動作の中に、症状の兆候が現れる可能性があります。ウェアラブルデバイスや画像解析を用いて、こうした微細な変化を日常生活から検出し、早期発見や予防につなげる取り組みが、今まさに多くの大学や企業によって進められています。
——技術の広がりによって、認知症予防は病院の中だけのものではなく、私たちの暮らしの中で備えるものへと変わり始めているのですね。
40代からの「アクティブライフ」が未来をつくる
——認知症は「発症したら終わり」ではなく、発症前から長い時間をかけて向き合っていくものだとわかりました。ただ諦めるのではなく、前向きに備えるものとして、考え方が変わっていきそうです。
新井
繰り返しになりますが、人間は本来「社会的動物」ですから、人との交流や社会的な活動を持つこと自体が、脳にとって非常に重要な意味を持ちます。ただし、「予防のためにやらなければ」と義務感でドリルや写経を繰り返しても、実はあまり意味がありません。同じ脳の使い方ばかりになってしまうからです。
それよりも、創造性があって楽しみがある活動、つまり「明日が楽しみになるような好きなこと」を持つことが、最高の予防になるんです。女性は比較的、趣味やコミュニティを通じて外とのつながりを持つ方が多いですが、特に仕事一筋になりがちな男性は、40代のうちから仕事以外のコミュニティや趣味を持っておくことが大切です。定年後に急に刺激がなくなると、一気に心身が老け込んでしまうこともありますから。
——無理なく続けられる「楽しさ」が、認知症予防にもつながる鍵になりそうですね。
新井
そうですね。一番の予防は、自分がワクワクすること、明日が楽しみになるような「好きなこと」を持つことです。私のクリニック名「アルツ(ALZ)」には、Active Life with Zeal──“情熱的な人生を送るために”という意味を込めています。
仕事以外のコミュニティや趣味を持ち、創造的な時間を過ごすこと。それが結果として脳を守ることにつながります。新薬や早期予見、生活に密着したテクノロジーなど、選択肢は確実に増えています。それらをどう捉え、自分の人生にどう取り入れていくかは、最終的にはその人次第です。
40代を迎える頃に「これから何を楽しみに生きていくか」を意識しておくこと。それが将来のリスクに備える、最も現実的で前向きなライフプランニングなのではないでしょうか。
ガンマ波サウンド™──「聴くだけ」で脳を刺激する、音の新技術
運動や食事管理、社会的なつながりの維持など、認知症予防の手段は様々だ。そして近年、新井先生のインタビューでも言及されたように、聴覚刺激と「ガンマ波」の関係が注目を集めている。ガンマ波とは、人間が記憶・認知・集中など脳を活発に機能させるときに発生しやすい、40Hz前後の周波数を持つ脳波のことだ。高次の認知活動に深く関与しているとされ、アルツハイマー病との関連からも世界中で研究が進んでいる。
この分野に大きな転換をもたらしたのが、2010年代後半に発表されたマサチューセッツ工科大学(MIT)のリー・フェイ・ツァイ教授らによる研究だ。マウスに40Hz周期の断続音を聴かせると聴覚野や海馬などの脳領域でガンマ波に相当する神経活動が誘導され、またアルツハイマー病モデルマウスではアルツハイマー病の主要な原因物質とされるアミロイドβの量が聴覚野や海馬で有意に減少することが確認された。
空間記憶の改善も見られたその成果は2019年に学術誌「Cell」に掲載され、世界的な関心を集めた。その後、ヒトの脳活性化においても同様の刺激が有効であることを示す研究結果が次々と報告されており、音刺激による認知症予防の可能性は着実に積み上がっている。
ただし、従来の研究で用いられてきた40Hz音には、日常生活での利用において大きな課題があった。実験で使われていたのはブザーのように鳴り続けるパルス音であり、長時間の聴取には不向きで、快適さとは程遠いものだった。
その課題を解決するため、新たなアプローチとして開発されたのが「ガンマ波サウンド™」である。これは、番組や音楽などの音声信号に対してリアルタイムで40Hzの振幅変調を施す特許技術(ピクシーダストテクノロジーズと塩野義製薬が共同開発)によって生み出される、ガンマ波を誘発する音響技術だ。
最大の特徴は、人の声や音楽としての情報を保ちながら、同時に40Hz刺激を取り入れられる点にある。ニュースやスポーツ中継を視聴していても違和感が少ないレベルに調整されており、暮らしに溶け込む形で脳のケアを目指している点が、この技術の核心と言えるだろう。聴覚刺激によってガンマ波を誘発するガンマ波サウンド™は、より身近な認知症予防としての活用が期待されている。
※ガンマ波サウンド™および関連するロゴは、ピクシーダストテクノロジーズ株式会社の商標又は登録商標です
ガンマ波サウンド™を用いた、ヒトに対する取り組みも急速に進んでいる。2022年の日本認知症予防学会では、40Hz変調音によりヒトの脳内でもガンマ波の惹起・同期が起こることが報告された。
2024年には国内の介護老人保健施設において、認知症患者25名のBPSD(暴言・暴力等の周辺症状)の行動評価スコアが有意に改善。それに伴い現場の介護負担の軽減も確認されるなど、社会実装に伴う具体的な影響が報告され始めている。
長期的な効果については現在も研究の途上であり、個人差もある。蓄積されつつあるエビデンスを慎重に見極めていく必要はあるが、テレビを観ながら、あるいは音楽を楽しみながら、日常の「ながら時間」にそのまま組み込める継続性の高さは、他のアプローチにはない独自の強みだ。
特定の行動変容を強いることなく、既存の生活習慣の中に自然に溶け込ませる──。新井先生が語ったように、認知症予防の本質が「好きなことを続け、日常を豊かに保つこと」にあるとすれば、ガンマ波サウンド™はまさにその日常の質を損なわずに未来のリスクへ備える、新たな選択肢のひとつと言えるだろう。
Interview&Text : Yoshihiro Asano
Edit : Kohei Ueno
Photo : Daisuke Okamura
Cooperation : 塩野義製薬、Pixie Dust Technologies, Inc.





